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こころとからだ

この二つの関係はなんだろうか。

こころはからだの一部だろうか。

こころがからだを支配しているとも見える。

でも、こころが快適になるには、からだの調子がよくないとなんともならない。

こころが快楽を求めるのか、それともからだがそうするのか。ちょっとどっちがどっちかわからない。

でも、おれたちひとは、本能で生きているようだ。とくに学校で教わったことは、知識であり、もともとの生活とかいうほとんどは、なんとなくわかってきてやってきたことの積み重ねと繰り返しのようである。

こころとからだというものをひとつとみるか、それとも別物とみるかは、おのれというものに関する感じ方と深く関係していると私は観ているのだ。

自己を忘れる。普段は想いもしない自己の存在だ。それが、緊張しているときは、おれは俺だからとなって、さらに気持ちがうわずってしまう。俗に言う上がり症ということだ。

何も考えない。そんなとき無になれるのは、こころだ。からだは、無にはなれない。なくなったら困る。実態のないのは幽霊だし、幽体離脱の世界になる。でもなんかできそうな気もするのは、俺だけか。そうでもないような気がする。

白鳳は、55連勝だ。今、彼の気持ちはどうなのだろうか。心技一体ともいう。それは極度に緊張した状態ではなく、ゆったりとした精神状態ではないのか。そこにひとつ、負けないという気持ちがあるかどうかはわからないが、しっかりとした目的を据えて、そこに集中しているからこそできるものだろう。

ヒューマンエラーなんていうことから、考えたらありえない確率で連勝しているのかもしれない。

ここに私は注目している。

やくざの世界とのつながりを言われているが、相撲とは、日本人ならだれでもわかるし、世界のどこでもその良さが理解できるスポーツであろう。だから、極道も相撲に憧れるのだろうと私は想う。そこで観戦するときは、やはりみんな同じではないだろうか。

日本人の一様性というのは、何かマイナスでしかないように想う。

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