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韓国戦の意味・・・

何というのだろうか。この国には負けたくないという意識が特別に強いことが、過去にこの日本の人たちにはあったのではないだろうか。

黄色人種であるというコンプレックスは、欧米にいったら、レストランとかその他公共の乗り物などで差別をされるかもしれないという意識があったのだ。ついこの間までのことだ。たぶん今でもあるかもしれない。

ジャップと言われても、その由来を知らなければそれでいいのだろうか。そこで危害を受けることがあるかもしれないということを念頭に置かなければならないだろう。もしかするとそうかもしれない・・・ということだ。

たぶんもうそんなことは、自分たち日本人の間になければ、それでいいというのは、でも間違いだ。身を守るというのは厳然としてある。基本だ。

相手に失礼かどうかというよりも、その土地にいけば、理解が違うことが多いのだ。宗教へのこだわりというか、その絶対的な重要さは、到底エセ仏教徒であるものにはわからないものかもしれない。イスラム教徒はなぜ豚を食しないのか。理由はわからないものの、それが経典にあるらしいのだ。

伝統的な文化も違う。違和感がある。なにか到底暮らしていけないというものがある。

でも、ひとはそういうものを持っていても理解できるのだ。

韓国とはとても似ているというか、同じ民族だろうと私は考えている。それは、日本の国内での南から北にすむ文化とか生活習慣とかの違いに及ばないものなのだが、ひとつの枠組みにあるか外側に位置するかで大きくかわるものなのだ。

グローバル化が叫ばれて久しい。どっちがいい。世界が共通の枠組みに入ることで生活や文化が統一化、同質化された方がいいのだろうか。

でも、差別ではなく、違いを認め合うことは大きなものだ。ひとが暮らしやすい環境を創造していくこと、あるものを維持していくことが大事なのである。

サッカーの韓国戦も同じではないか。比較的、世界へなんら苦も無く飛び出す日本人選手の姿が見られるが、世界ではもっと貧しいアフリカ諸国から、名も知らない小さな国々から、その才能だけで有名な選手になれる。

才能があれば、国境を問わないスポーツになっている。日韓という関係もこのサッカー界では、もう国境はないようなものかもしれない。

でも、国の代表として戦うというのは、ひとつの伝統文化なのではないか。応援しようと想うこころがいつまでも公平な姿であってほしい。そう私は願っているのだ。

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