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ピースコーのこと

最近、日本の若者は世界へとでたがらないというニュースがある。

でも、そうだろうか。

科学の世界で、そういう傾向があるというのが、先輩科学者の感想のようだ。しかし、現実に今の若者は、スポーツでもなんでも国際的な活動を好きなようにやっている。

米国のピースコーと同じようにJOCVの若者は世界の国々へと赴任し、そこで途上国の生活に溶け込んで生活している。

今朝のあらたにすの論評で、ピースコーのOGがユネスコのトップになったということに関連して、その生活の厳しさで病気との闘い、現地の貧困さなどを体現してこそ・・・という記事があった。

でも、そうだろうか。

同じけさのラジオでたまたま耳にしたのは、特攻隊の士官の言葉だった。命令にしたがって、若い17、18ぐらいの隊員の特攻の成果を報告するという仕事だったというのだ。敵の戦艦の弱点に集中的に攻撃していくことが、成果を上げるためのコツだといっていた。もうそこには死という考えはないということだった。それぞれが、命令に従った突撃でどれだけ戦禍を上げられるかが、そのこころをすべて支配しているというのだ。

ということは、なんだろうか。使命を果たすという、人間の心理を悪用していることではないのか。誇りを悪用して押し付けるということでもあろうか。

何がわるいかといえば、そういう使命を命令として与えることが、悪い。今だから言える。そして、そういう社会や国家の仕組みを創らせないシステムと考え方が重要だと、気付いたのが日本人ではないか。だから、今更と言われても、そういう道筋をたどっている国々の状況をみると、胸を締め付けられる気がする。国家の歴史は国民すべてが知っている。あのときどうすればよかったのか。そう考えると、北朝鮮の姿とか、中国の一党独裁という姿勢も大きなリスクを負っており、その打開のためには、破壊するという答えしかない。

でも、そうだろうか。

戦争を繰り返すことは、なんどでもできる。その都度、これではだめだと言いながら、また同じことを繰り返すのが人類の定めだという人もいる。

なんのためのピースコーなのか、青年の協力隊なのか。そこに飛び込んでみてわかる何かを社会のおおくの人たちに知らせるためのものではないだろうか。

どこにいっても、何人であろうが、その社会の空間では、ひとりの人間として、毎日の食べ物とそこのひとたちとの交流がなくては生きていけないのだ。喧嘩をしたり、そこで横柄にふるまったり、そこの伝統習慣をないがしろにしたら、生命の維持はできないだろう。

だれでも、どこでも、ひとりのひとなのだ。そういうことを私たちは、再認識する必要がある。

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