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なぜ断髪式なのか・・・

平等にやってほしい。

朝青龍がああで、大関琴三月はどうするのだろうか。

もちろん・・・だろうか。

どうもわからない。

モンゴルで生まれた、日本で育てられたという。だれだってどっかで生まれてどっかで育つのだ。

とくになんら変哲はない。

だれだって、その年からあと、いろいろな可能性を持っている。そこで何かができるとは思うのだが、一度、そこで大成したという自負を持つともう駄目だ。そんなにヒトの能力は続かないのだ。

マルチタレントというのは、ほんの少しずつ持ち出しているという才能レベルだ。

なんでもできると想ったら大間違いだ。

尺度の違う次元がある。通用しない。だから、スケールを自分でもって、探し求めるのが自分の人生ではないのか。それぞれ、あろう。

もうこの世の中の痛みなんていうものが、とんでもないなんて思うのは、このわれわれの身体に与える痛みという苦痛がある。病気という痛みの元が、原因がある。どうしようもないものだ。痛くても、それが死に至るまで決してやむことはないということしかわからない。でも、そこで何ができる。

相撲取りは神に仕えている技師であり、戦う神様に化身していると言われる。だから、相撲はこころを育み、ひとを成長させると言われる。

なぜ断髪するのか。神の使いとしての戦うものが、普通に戻るということだ。それは、相撲という極めて特殊な世界でのものだ。それがわれわれ日本人のこころの奥底に住んでいるのだ。だから、感動もする。

単一民族のせつなさを感じさせるものでしかなかった。なぜ・・・そんなに弱い国民なのかという疑問しかない。私たちひとりひとりも確かに心身ともに弱体化している。ちょっと、脅されたらそこで根を挙げてしまう。

これでは、だれがどうのこうのなんて言えないかもしれない。でも、やはり口惜しい。もう一度強い国民性でこの日本という国の政治をもっと強く逞しいものにしていかなければならない。世の中には、いろいろな形で機能を発揮できない身で生まれてくることもあり、途中でそういうことを失うこともある。だから、私たちは、国民の誇りをこころにもって、自分たち一人一人ができることをやっていく必要がある。

それは、能力とか心身機能のレベルとは違うものだ。国民社会全体として、このシステムというか、ひとりひとりの生活をできるだけ快適なものにしていかなければと私は想うのだ・・・。

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