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自由業というプロが多い

プロとは自由業が多い。とくにスポーツ選手の場合は期間限定のその種目に関する才能と技術への報酬という面が大きい。

あくまで、その個人の技が大衆へアピールすることが求められる。だから、チームの勝利に貢献する技を持つことがプロだと言える。また、スター選手だけではなく、縁の下の力持ち的な地味な選手も大事だ。

要は、プロとは自由業であり、個人事業だということだ。だから、経営者としての力量が必要だ。代理人任せというのではなく、自分の売り物をどうさばけるのかを自分で判断する力が経営者としての才能であろう。

契約を毎年行うというのは並大抵のことではない。若さに任せてバリバリと機動している間はいいだろう。でも、技術と体力は一体だから、総合力は年齢によって低下するのが一般的だ。それならどうするのだ。競技者としての生活とそのあとの人生を考える必要がある。

一年ごととか数年の契約でも、成績によっては解雇される。その結果、どうなるかわからないのだ。不安だろう。そういう不安を打ち消すのが、技術に対する鍛錬なのだ。

そこから離れて単なる算術の世界へと移動すると、それは目に見えない技術の場合には悲劇だ。誤解して、誤認してそのまま才能と技術があるという心理から離れられないのだ。

でも、スポーツの場合、目に見えるのだ。衰えはそのまま伝わるのだ。だから厳しいとは言わない。それがいいのだ。踏ん切りがつくだろう。だって、いつまでどこかの国の独裁者とか独裁一党というのは決してよくはないのだ。

そういう後遺症が人気主義というものに波及する。どうなる。一部大衆の誤った迎合が主導者のワルノリを誘うのだ。そして、どんどんエスカレートしていく。弱い奴をいじめる。わかったようなそぶりの未熟な心理を愚弄するのはたやすく、おのれの劣等感をいやすものとなる。大衆心理も同じだ。愛国主義という心理を利用して、人気を勝ち得たと思ってもそこには弊害がある。

そういうものを総合的に判断する。となると八方美人になる。そして四面楚歌となり、自暴自棄になり爆発する。辞めればいいだろうとなる。それができる国のリーダーはある意味でとても幸せである。失敗は粛清か、死か。絶望という線になる。

そこに希望を見いだせるかどうか、捨て台詞でいいなら、なんとでもなる。

要は、自分たちのファンをどう拡大するかであり、純粋にスポーツを楽しむかである。そのためには選手が必要なのだ。大衆は新たなプロらしいプロを求める。

そこには、自由業というものをしっかりと認識したプロが必要なのだ。

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