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政治家の倫理

アネハ事件の後、技術者の倫理が問題になった。

核開発の後、科学者の責任が問題になった。

ピーナッツ事件の後、首相が逮捕され政治家の倫理が無視された。

立場を変えれば、従来からそうだった。

長いものにはまかれるというのが、社会通念だった。酒もたばこも異性にも興味のないなんておかしい。ちょっとはくだけろというような感覚だった。

付き合いが悪いと職場での居場所がない。

あいつはどうも・・・。

そんなのが職場だった。酒飲みで遊び好きで仕事熱心で、ひたすら頑張っていたモーレツな社員が、その後個人の人生では、からだが持つわけないよなという風に戦死した。それでもみんなが憧れた。そんなサラリーマンの姿が立派だったのだ。人生50年なら、もう35歳ぐらいで先が見える。

そんなに残っていない寿命だ。

それなら、健康なんてきにしないというのか、できないだろう。35になって40になって、50になる。もうお迎えが来る年だ。だから遠慮なく、からだをこき使ってその時を待ったのだろうか。不安だから、大酒を飲み暴飲暴食で過ごす。細胞学的にはまだ若いから、そういうこともできる。そして、終わりを迎える。

政治家もそうだったのではないのか。

地元のために頑張る政治家というレッテルを張られた以上は、何がなんでもお金を持ち出してふるまうことがいるのだったようだ。当たり前だったのだ。仕事をしたら、その駄賃をもらうのも当たり前だ。口利き料ということだ。それださらに大きな仕事がとれるという仕組みを知ったら、どんどんエスカレートする。

そんなこともできないようでは、大成しないと先輩にしかられてきたのだろうし、そういう先輩たちの甘っちょろいところをかいくぐって大物ぶりを発揮したら、若い政権与党の幹事長になっていた。将来を嘱望されて、オヤジにもだみ声でかわいがられてきたのだ。

だから、オレヲダレダトオモッテイルノカ・・・なんて自分の口では言わない。そうしないとセンセイが気を悪くするから・・・と取り巻きに言わせるのか、取り巻きがそういうことを当然のこととしてやれないと、出番がなくなる。

政治家の倫理なんて、どこかでくるったのだ。

書生という身分があった。それは高潔な政治家へ居候し、無給でつかえたのだ。丁稚奉公という政治家の道だったのだ。

今は、昔。

おれをだれだと思っているのか・・・とは言わない。そして、国会という強いものには、従順に従います・・・という。

でも、そこで国会とは、国会議員という政治家の集団であり、政治家個人はみんなしがらみをもっている。だから、だれも何も言わない。だって、中国の・・・あの怖い中国のトップに握手させてもらったし、昔の政権与党の幹事長だったのだから、みんなの首根っこをへし折るぐらいのネタはいっぱいある・・・ということか。

政治家三木武雄というひとは清廉潔白だったという。だから迫力がなくて、三角大福ではあとの政治家ではなかったか。日本は姉御肌とか、親分肌とか、血気の盛んなことが、リーダーの条件のような気分が残っているのだ・・・。

それは村祭りを仕切るやくざ稼業が格好いい・・・という思想がある。やくざの精神がひん曲げられたように政治家の倫理意識なんていうのはもうこの国にはないようだ。

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コメント

とても魅力的な記事でした!!
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。。

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