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恥ずかしさを感じる社会を守ろう

この社会は力だけだろうか。

経済。

政治。軍事。

すべて力関係だという。

おのれの私的利益のためには、脇目を振らずに邁進するのが、いいと言われているのが、この社会だろうか。

恥ずかしさなんてない世界のようだ。

ひとは生まれた時から、おのれに恥じないようにという気持ちがこの身体の中に刻み込まれている。だから、そういうひとのいる社会も同じように先祖にはじないようにという心理的な文化をもっている。そして大切にしている。

ノーベル平和賞でノルウェイに姑息な手段で圧力をかけ、そして授賞式への臨席を拒否するように踏み絵をさせるようなしぐさは、もう恥ずかしくて論評することもできない。

これに同意し、従わないなら、ひどい目にあうぞ・・・と恐喝している。そんな大国があるだろうか。いや大国になれないので、必死にあがいているのか。

恥ずかしいというのは、そうしないぞという決意でもある。

シーマンシップ、スポーツマンシップ。

すべて優先すべきことが決められている。

もし海で人命を無視したら、それはシーマンではない。

もし、ルールを不正に無視したら、それはスポーツマンではない。

もし、私利私欲の政治家とか、政党なら、それはポリティッシャンではない。

公益のために何をするのか。

中国の一党独裁の中で、世界の流れに目を光らせて、現実をどう判断すべきかを真剣に考えているひともいる。

でも、体制の中では無力だ。暗闇に葬り去られないだけ、理由なく反抗したから、処刑されるというレベルから、どの程度脱却しているのだろうか。

どの国家でも地域でも、お前の家族を危ない目にあわせるぞ・・・なんて脅されたら、そして、お前もそのうちターゲットだぞ・・・なんて恫喝されたら、だれでも嫌になる。

そんな恥ずかしい社会には、何がなんでもしてはいけない・・・。

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