必要とされるところでプレーすること
MBLで活躍した岩村選手、いわく。
必要とされるなら・・・。
燕がどうしたのか。
選手を獲るには、資金計画次第だ。
でも、ひとつが終わらないと、計画資金がでてこない。
そんな優先度の高い選手がだめにならないととれない。
でも、そんな優柔不断ではとても選手は必要性を感じられないだろう。
とするとプレーも何か中途半端となり、成果も気にしないなんていう風潮が跋扈する。
とすると選手はチームへの貢献をなんとも思わなくなる。みんながそうなら、おれもそうするしかない・・・。
ただ、一人の選手がどうこうできる成績ではない。
そして、ただ一人の選手がいなければ優勝はできないのだ。必要とされる人間はひとりひとりだ。意識が俺がいなければ・・・ということだ。
必要とされるチームにいくのがいい。
お金ではない・・・ということだ。
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