叫びたい想い
海に、山にいって大きな声で叫びたい・・・。
そんな気持ちにならないだろうか。
私は、時々そう想うのだ。
現実にあり、現実に暮らし、現実を認めてもなお、そこにいやしきれない想いがあるのだ。
なぜ、どうして、俺たちだけがそんな目に遭わなければいけないのだ・・・。そう大きな声で叫んだところで、あんたはまだいいよ。アマちゃんだな・・・とせせら笑われてしまう。
だから、叫びたい気持ちは、そういう人たちに優先的に与えようかなんて想う余裕があるのか。お前たちは、なぜ生きているのか。からだがきしみを挙げているのに、こころは平気なのか。
お前たち心身は一体ではないのか。こころのなかで叫ぶことに対して、からだも協力して大声を貸してあげたらどうだ・・・。
そんな想いはからだの方にもあるだろう。
そんな時こころは、からだの想いを察して大声を出す指令をだしてもいいのだが、いつもわすれているのだ。からだは物体だから、そんな精神的な作用はもっていないとでもいいたそうな・・・、そんな感じがわかるだろうか。
ときには、心身協調して大声をだしてみてはどうだろうか。
« ハイチはどうなったのか・・・ | トップページ | 力とは・・・ »
「心と体」カテゴリの記事
- 分かり易い文章(2019.02.09)
- 片べりの靴の教えてくれるもの(2019.02.04)
- 年齢に比例するもの・・・(2019.02.02)
- 散歩仲間?(2019.01.07)
- 本音と建て前(2018.11.19)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント