こころの空間のひろさとは・・・
ヤクルトの紙パック。それともヤクルトのプラスチックボトル。
そんな程度か。
いや、地球より大きい。
いや、宇宙よりも広い空間だろう・・・。
このみんなのあたまの中にあるのだから、いくら広くてもそこまででは・・・。そんなことをだれかが言った。
あたまのなかにあるものは、前世とかあの世とかもあるはずだ・・・。ということは、時間と空間を超えた広さだろう・・・と、だれかが想った。
でも、狭いこころが普通だ。法律と規則にがんじがらめのこどもたちのこころは、とても大きくはならない。そうしないことが教育方針なのだからだ。当面のテストの成績でよくなっているとか史上最悪だとかいわれて一喜一憂する文科省があるのだ。
もっとひろい空間にこどもたちのこころを招待してみてはどうだろうか。
世界中のこどもたちや、時空を超えてやってきた、大人たちのこどものころのこころも一緒に招待したらどうだろうか。そして、できるなら未来の遠い子孫たちのこころも同じように招いたらいい・・・。
日本の総理なら、できるのではないだろうか。リーダーシップがいっぱいあるから・・・。
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