ちいさな歯車になるのは嫌だった・・・
工業高校の機械科の卒業生の一人だった。
みんな卒業したら、工場で働くひとが多い。
歯車とは、この社会生活の中でいろいろなものに使われている。
俺もそんな大事なはぐるまになれるか心配したものだ。俺のはぐるまが壊れて迷惑をかけるかもしれない。緊張する。責任がある。
小さなはぐるまになるのだという例えは嫌いだった。嫌だった。それは、どんな小さなものでも大事なものだ。もちろん大きさを言っているのではなく、その働きの重要性をいっているのだ。緊張するのだ。社会のどんなちいさな目立たないはぐるまになるのも、そこでもし迷惑をかけるといけない・・・。
そう感覚的に想ってしまうのだった。だから、ほんとうに不安だった。
でも、早く働いて親孝行しなければいけない・・・。貧乏でも暖かい家庭に育った。それは後日、だれかが勘違いして、あんたみたいに裕福にぼんぼんでそだったやつにはわからない・・・と言われたことがある。
そんなバナナ・・・。でもそうかも・・・。あんたのことは私は知らない。だれと比較しているのかわからない・・・。僻み根性だということだったらしい・・・。
もっと前向きに明るく「おはよう」と毎日笑顔でいること、それがはぐるまである。今はちっとも嫌ではない。小さな歯車ってとても大事なのだ。そこに入り込むには勇気がいる。でも安心していい。そこにはちゃんと気を緩めてもいい時間帯もあるし、代わりの歯車もあって、みんなでこの大きな大きな社会を回しているのだ。
もちろん病気になっても問題ない。その間、仲間が頑張るシステムになっている。
小さな歯車の大切さをしらないまま、終わるのはとても嫌なものだと、今は想うのだ。
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