馬と蚤
政権を民主党に与えたのは国民だった。
政権の座についた民主党は、自分の力で奪取したと勘違いしてしまった。
大デリゲーションを中国に送り、取り巻き議員を主席と握手させたというところから、話はおかしくなった。
勘違い。
大物との誤解。
ほんらい、ひとは偉くなるとよりあたまが低くなると言われている。それは、決して卑屈になることではない。そして、卑屈ではなく感謝という言葉がそういうあたまの低さを象徴しているのだということを忘れる。
おのれの力ってなんだ。
他者の力だ。おのれの力なんてないのだ。みんな同じひとりのヒトとして、この国の将来を考えている。だから、政権を与える決断をしたのだ。でも、親のこころ子知らずで、おのれの選挙戦術がよかったのだと誤解している姿を一度みせてみたい。
裸の王様という話を知っていないのか。それともシンデレラの王女の私が一番美しいという言葉を俺が一番偉いと思い違いをしてしまった。国民の存在をわすれ、取り巻きの言葉におのれの愚かさを否定させている。おのれの決断の必要なところは、制度の責任にし、法律のことも、制度がよくないとし、そして、裁判によって決着をつけるともいう・・・。なにかおかしい。砂上の楼閣ということばがあるが、杖をついてもだめなものに言い訳をこじつけて、一方では砂上に言い訳をこじつける。
いずれもだめなんだ。裸の王様のおきものはないんだよとだれかが教えようとしても、取り巻きがいやそれはない・・・と否定してみせる。
馬と蚤の例えは、読売の編集手帳のものだ。なかなか個人攻撃でないところがいい。新聞の評価というのは、やはり視点がしっかりしていることにあるようだ。
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