管内閣の内輪もめ
連日、マスコミが管内閣の内部での騒音を電波に乗せている。
どうも与謝野氏の大臣就任が波紋を呼んでいるようだ。
平成の開国という管首相。
明治政府の経緯を意味しているのか。
多くの既得権者がいたのに、改革できたのはなぜか。
保守的な力がもう限界であったからだろう。実は内部から崩壊していたのだろう。寿命がきたという感じだろうか。
今、平成はどうなのだろうか。
古い層に属するひとは、この社会の厄介者だろうか。
それとも、まだまだ役立つのか。
平成の開国というには、やはり社会システムを健全にしていく必要がある。そのためには国家財政が極めて重要だ。どんな予算編成を行うか、お手並み拝見したこの一年だった。
どうだったのか。民主党でいいのか。
このまま年金制度を続けていけるのか。
それともぶち壊すのか。一度大きな力で問答無用に壊滅させることが、歴史では繰り返してきている。
価値がなくなる。システムとはそういうものだ。
それがなくては改革はできない。
あまりにも八方美人では、待つものはシステムの崩壊だ。
でも、だれが壊すのか。
若い人しかいないだろう。
でも持続的な発展がなくては、なんにもならない。
内輪もめしかできない世代では、なんとも仕方がない。内輪もめとは人事がかかわることが多い。日本は途上国になっているようだ。GDP3位は一人当たりでは19位ぐらいだそうだ。せめて5位ぐらいかと私は思っていたのだが・・・。
いつまでも内輪もめでは、政治は動かない。動かないと、人心は離れる。これはもうはっきりしていることだ。
« また寝てしまったアジア杯韓国戦 | トップページ | エジプトでのデモ »
「ニュース」カテゴリの記事
この記事へのコメントは終了しました。
コメント