期待とは・・・
期待されない存在が、あっという間に「期待される日本の人物百名」なんていうことになったらどうする。
どうする。
期待されると弱い。
だれもがそうだ。
それは、責任感があるからだ。通常の人間ならプレッシャーを感じるものだ。
でも、本来、おのれを認識していなければ、それは他人へのものとなる。だから、何も感じない。
それでいいのではないだろうか。へたにワタシ、わたし、私、俺とか自分は・・・とかいう必要はないのではないか。
ひとは生まれながらに才能をもっている。
才能の大小に差があってもそれは0.0001%ぐらいのものだ。
テストの点数が99点でも20点でも50歩100歩だ。
それは、ジブンとしてはもう許せない侮辱だが、ひととしてみたら、当然の範囲なのだ。許容されるひとの能力の範囲なのだ。
だから、期待されたら、それは嬉しいものだと、感じたらいい・・・。
そんな期待される人間になろう。
期待されたら、そのレベルだけの問題だ。
目標値を大きくしなければいいのだ。十分、期待にこたえている。そう胸をはっていいいのだ。
才能あふれる人間でも数万倍の能力を持つ「スーパーマン」には叶わない。スーパーマンはその数倍の力を持つという「ウルトラ・スーパーマン」がいれば叶わないのだ・・・。
でも、彼らはそんなにいない。
自分の好きなことをこの世の中で追及していこうではないか。
スーパーなやつらが来たら、さらにその好きなことをやってもらおう。ヒト社会の夢がかなうかもしれない。
課題を提示することが、いつも大切なのだ。能力があると課題がなくなるのだから・・・。
同じようなものだ。
物差しをいっぱいもって生きていこうではないか。
« まだ長くかかる元の基軸化・・・ | トップページ | 岡崎のハットトリック »
「心と体」カテゴリの記事
- 分かり易い文章(2019.02.09)
- 片べりの靴の教えてくれるもの(2019.02.04)
- 年齢に比例するもの・・・(2019.02.02)
- 散歩仲間?(2019.01.07)
- 本音と建て前(2018.11.19)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント