凝り性
あんなに懸命にやっていたゲーム。
そして、パチンコ。
昔のことだ。
もくもくの煙の中で、みんな真剣にパチンコの玉を追った。
なかなか入らない。でも入ると続くというイメージがある。
あと少し、もう少し、もうちょっと・・・。
学生の身では金がもったいないし、到底続かない。どこでやめるか決めないといけない。たまに兄貴が入ってきて運よく玉をもらったりすると、それはとてもうれしいものだった。
これも余裕がないとだめだ。そう悟った。
百円玉で、パチンコで、ふところはすっからかん・・・。
出ていくばかりのこと・・・。バイトをしたりする。でも、ゲームで費やすにはもったいない。そう想った。では、どっから遊ぶお金がでてくるというのだ。いや、遊ぶことができないのが、当時の俺だった。生きているとか、学校へ行かせてもらっているということが、すごく贅沢の極みだったのだ。
だから、感謝する。それ以上の不満はない。いや言えないし、そんなことで不満なんて言えないし・・・。
凝り性であったから、夢中になると・・・、ついそうなる。凝り性だから、いやになるまでやる。反省するものの、いつもそこでまたつかまってしまう。誘惑に凝り性の気持ちが捕まるのだ。
凝り性はそのままだが、今は興味がない。だから、そういう気持ちにならない。不思議なものだ。興味がないのだ。
それでは、凝り性でも関係なくなる。
ゲームをやるには、これ面白いって想う気持ちがないと、いくら凝り性でも続けることはできないし、しないものだ。
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