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悲壮な覚悟で臨む通常国会

たぶん、この辺が関ヶ原であろう・・・。

そんな予測が、他党の協力を阻むようだ。なんとか得たい支援の手だが、なんとも情勢が許さないようだ。

覚悟しているものの、そうした前任者があまりに多くて、とても参ったとか疲れたとか、飽きたなんて言えない。もう、一度総理になれば、それでいいなんて口が裂けても言えない。

あくまで、政治生命をかけて全力を尽くす・・・とか、いくら支持率の数値が下がっても、私はやめるきはない・・・とか、いっておかないとだめだ。

足元を見透かされている。

もう悲壮な覚悟だ。悲壮さもそこに楽観的な一面がないと民衆大多数の支持は得られないものだ。どこか投げやりで、無責任そうな感じがあって、それでいて一本芯が通っているなんていうのでないと、大衆の支援は得られないものだ。

どっか投げやりでないと・・・。悲壮さは支援する側のこころに敏感に伝わるものだ。嫌なものだ。そんなに悲壮な覚悟でやられてはなんともしようがない。もっと気楽にいくことだ。

この日本の国民は悲壮になることを望んではいない。もっと余裕がある。でも、天皇制という仕組みを米国が押しつけたことで、何か変革のチャンスをなくしたのではないか。それが本当は弱みなのではないのか。そこに心理の中核となるものをこの国の民衆はおこうとしたのか。戦に敗れても、それでもそこにこころの中心をゆだねたのだろうか。

そんなことはない。米国がそうしたのだ。

それがこの国の弱みだからだ。

だから、悲壮さが際立つようだ。

天皇制を護ることが、日本にとっては一大事だったのだ。

でも、それはこの国では決められないことだった。

憲法とどうように押し付けとみれば、天皇制存続もそうだったのであろうか。

もしも、この国の政治を決められる大国があるとすれば、それは中国であり、米国であり、韓国ではないのか。そして、インドやインドネシアなどのアジア諸国もそうではないのか。

靖国参拝が許せない・・・。中国がいう。

戦争責任がある・・・。韓国もいう。

普天間基地の存続が肝要だ・・・。米国がいう。

もっと市場を開放せよ・・・とアジア諸国はいう。

悲壮な覚悟で通常国会を乗り切るには、どうしたらいいのか。

混乱を防ぐにはどうしたらいいのか。

力不足を補うにはどうしたらいいのか。

いくらでも問題は山のようにでてくる。

その都度悲壮になっていては、ひとの感情が消滅してしまうだろう・・・。

だから、この国の問題は国民へ任せてはどうだろうか。総理の専権事項だろう。解散総選というものがある。

信を問う。

これが、原点であろう。

自民党は解散に追い込むといういい方だ。でも、それを担う力はない。どこにもない。信を問うても、それにこたえる能力がない。無責任だ。そん状況で追い込んで力をそぐのが最善策だと他の野党もいっているらしい。

もしも、管総理が悲壮さを限界にしているなら、もう解散総選挙しかない。次年度予算が最大の関係者全部、与野党含めた最大のものなら、それはそれで仕方がない。

国民の信頼を得たといえる状況での政治が一番大事だ。

社会保険と税の一体改革というが、団塊の世代もいつか消滅する。ちょっとの変化に一喜一憂するのは愚の骨頂だ。人口と食糧問題が、つぎの大戦の火だねだ。だれもが知っている。食べるものを確保することへの執着は、政治の本来の務めだろう。

今、あまっているから、どうのこうのではなく、国際的な現状認識は、食糧不足という緊急事態への危惧を示しているのに、この国は飽食の感に縛られているようだ。滑稽だ。

もっと大局的な見方でそう悲壮にならない手立てを政府は国民に提供する必要があろう。マスコミももう少し、楽観的でいいのではないか。もうすでに日本国民はリスクがクライシスに変革していることを知っているのだ。

そういう危機感を煽るのは、政治本来の仕事とは違うように想う。

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