寿命と知
若くして有名人になる。
はたして幸せだろうか。
日本人ならだれでも知っている裕次郎がいる。美空ひばりがいる。
でも、途中でと言おうか、日本人の平均寿命から程遠い年齢でこの世を去っている。なぜだろうか。
国民的英雄だろうし、ヒロインだろうし、戦後の日本人のこころに光明をもたらした人たちだ。ほかにも一杯いるが、このお二人は別物のようだ。
人気がなぜ沸騰するのか。映画にTVに雑誌に、新聞に・・・。売れっ子。スター。どんな言葉も負けてしまう存在だった。
寿命ってファンにとっては、とても悲痛なものだ。
なぜ、あんなに国民に慕われたスターがどうして早くに命を落とすのか。
生活が大地に足をつけたものではなかったのではないか・・・。ひとりのヒトとして、考えた場合もっと違う生き方をしたかったのではないか。スターという姿を自分の中に取り込んで生きるしかなかったのではないか。
多様な生き方ができる身分だと、大衆には思えるが、どうもそうではなかったのかもしれない。夢を売るのがスターの役割だと割り切っていたのかもしれない。
人間の生身のからだであって、そうではなかったのかもしれない。
そんな人生はまだ一杯ある。この世の中には、自分という存在が想うようにできないしがらみでうずまっているケースがいっぱいある。それが、もし適合しなかったら、どうするのか。貧富の差に関係なく、いろいろなことが不適合という形でこの世の中にはある。
もっと自由な姿で、この世の中を見つめていきていくことは、すごく贅沢なことなのかもしれない。
人に知れず、有名でなく、才能もなく人並みで、特別目立たない存在が、この世には数えきれないほどある。でも、あるひとにとっては、そういう贅沢がない。
大衆のおもちゃとしてのスターだけなら、その大衆のいろいろな怨念とかあこがれも含めてすごく膨大な想いが、寿命を打ち砕いてしまうのだろうか。そんな大衆のこころのエネルギーはいともたやすく才能あふれるスターのいのちをむしばむのだろうか。
普通の女の子に戻ります・・・。そんな言葉が耳元に聞こえた。今も同じように叫んでいるスターがいる。ときには、だれもがみんなひとりの自分にもどってひとつのいのちの持ち主である生き物として認識できるスペースを持たなければいけない。
自分のための生命エネルギーを、とっておくことが大切だ。
今言う地球環境といういのちも、この私達のいのちを育んでいる惑星のものだろう。だから、あと数十億年したら、すこしは地球さんそのもののいのちとして、人類はお返ししていかないといけないではないか。
そのあと、何十億年かはわからないがまた、同じような生命が現れるまで、自由にこの宇宙のメカニズムに運命を委ねるときが、数十億年先にあることは、わかっている。
それまで、人類がこの地球に迷惑をかけないでお世話になっていることができるかどうか。原爆という破壊力をもった人類はトラブルをいつも多く抱えている。だから、自滅するというのが大方の見方だ。
そういう想定があるなら、そうしかならないかもしれない。自然な寿命を私達は全うできるだろうか。それとも、ずっと永遠の命をもって生きていかなければならないように、この人類の姿が変異するのだろうか。
なんともうつろな世界にしか見えない。新たな生命が誕生しない人類なんてありえない。だとすれば、ひとりひとりのこのいのちが消えていくのは、きっと大切なことなのだ。
でも、この生命の知が、宇宙のどこかを漂うなんていう変異もありうるかもしれない。霊的な存在というものだろうか。
芸能人とは、何かそういう知的な存在なのかもしれない。だから、スターになることは大衆に夢を売ることであり、あまり寿命に頓着しないのかもしれない。
永遠の知といういのちをこの無限の宇宙で漂って知的生命体に夢をもって生きるように教えているのかもしれない。
・・・・・。
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