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媚びないこと、奢らないこと

媚びない。奢りを捨てる。

つまり、自分との戦いだ。

勝敗というものとおのれの感覚的なものがある。

勝ったと感じた瞬間にこころの緩みがでて負けてしまったていた・・・。白鳳が語ったという。

評価とは何だろうか。

他者の評価でおのれのこころが満足していけるのだろうか。

一般には、自分の評価が他者の評価よりも高いのだが・・・。これは不満に繋がる。だから他人のせいにしてしまうのだ。でも、本来、おのれの評価が大事なのだ。

どうしてもだめなら、自分で見切りをつける。

媚びて、おのれを忘れていいように利用されるなんていうのは、世の中の常とう手段になっているのだ。相手の弱みに付け込むのは、あまりよくないことだが、世間では当然のごとく行われているのだ。犯罪を解明するには、この構図をよく理解する必要がある。

同様に、なんでも判断は自分でするものだ。

感覚がないなら、他者の判断に従う必要があるが、味覚でもスポーツの技の程度でも、それはおのれで感じるものだ。

今のプレーは良かった。そう感じることが次につながる。でも、それが自己満足のレベルでは話にならないのは承知しているはずだ。

だから奢りを捨てることが必要になる。媚びないこと。これはおのれに対しても同様だ。自分に媚びるともうそこから抜け出せなくなるのだ。

感覚は判断を左右することを知っておくことが大事だ。

笑顔でみじめさを表現するのは難しいだろう。みじめな気持でうれしさを語るのは不可能だ。

嘘ついていらー。そう言われそうだ。

媚びもせず、奢りもせず、平平凡凡と暮らすことは、さらに難しい・・・。

ときには媚びてもいいし、奢ってもいいだろう。そういうのが当たり前の普通の人間だからだ。でも、心底ではない。自然に社会の標準にしたがった行動になってしまうのだ。

プロとはなんだ。白鳳は横綱だ。そこは神域のようなものだ。

昔の総理の地位は神域のような厳かなものだったに違いない。

でも、総理経験者がなんら見識がなく、世界の笑い物になっているようでは、媚びて奢ることもできない。悔しさをうちに秘めて、名誉をどう回復していくかだ。

でも、弱い立場の与党、総理を協力して助けないという考えもまた、国民に媚びている証拠であり、弱体政権の崩壊を待つ姿勢が奢りではないだろうか。

国民は媚びている政党に加勢はしないのだが・・・、わからないだろうか。この感覚がわからないだろうか・・・。政治生命をかけて北朝鮮に拉致された被害者を救い出すという言葉がもう、どこかへ風化してしまった気がする。

これは国民への媚びだとだれにもわかるものだが、奢りの結末としての言葉でもあったのだ。そう想う。

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