馴れるまでの時間・・・
どんなことでも馴れが必要だ。
新たな環境に即順応できるなんていうことはない。
そこで、何を観察し、どんなことに注意していくべきかを知ることが必要なのだ。馴れるまでには時間がかかる。
その時間を私達は無視することが多くなっている。ほぼ均一な日本の従来の社会では、そんなこと毎日歩く道のように石っころひとつでもわかるような気になってしまう。でも、そんな道でも毎日変化する。
それが、今、この日本の社会にはほかの国々から大勢のひとたちがやってきている。あまり国としては好感の持てない隣国からも大勢のひとがいる。彼らは一様に明るく、有能である。そして仲間意識がつよいようだ。
ひとつ気になるのは、私達個々のことだ。何をしていようが、一人ひとりは無力である。ある集団ににらまれてしまうと、それは恐怖である。だから、そういう意味で、政治家や権力の集中する政府首脳は標的にされる。政治的なうさを個人的な攻撃で晴らそうとする輩もいる。
虎視眈々と失策を見逃さないとしている連中もいる。でも、そんなことは関係ないと感情的な行動で脅しをかけたり、暴力をむき出しにしてくる輩もいる。
よく考えてみよう。馴れるということの意味。それに必要な時間。
これからの社会では、そういうことが必要なのだ。シミュレーションをする。そして、その通りにはいかないことが当たり前だ。
そんなとき、自分のこころの中に戻っていく原点をもつことだろう。
それは人それぞれが、ひととして生まれて自我に目覚めたときに、この社会に馴れるためにしっかりと頭の中に刻み込んでおく必要がある。
私の場合、それは「俺ってなんだろうか・・・」ということなのだ。いろいろと実社会では悩みがある。でも、よく考えてみると、社会の中の歯車に過ぎない自分の身を憂えても仕方のないことなのだ。だから、私は「俺ってなんだ?」と自分に帰ることにしている。
いつもよくわからないままに、また悩んだら帰ってっ来るから次にこたえを見つけることになるので・・・、答えはまだないのだ。
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