趣味は論語とバイブルだと・・・
日本の首都東京都知事選挙。
その候補者に名乗り出たひとがTVで紹介されていた。後だしじゃんけんの得意な現職はまだ余韻を残して静観している。
口蹄疫と鳥インフルエンザに苦しんでいる九州のある県の前知事も前評判に乗っているようだが正式に表明はしていない。
ヒトを判断するというか、個人情報保護の時代に、公職に就こうという人は、すべて丸裸にならないといけないようだ。それでなくとも洗いざらい調べられてゴシップ、スキャンダル、醜聞の的にされるのだ。
だからなのか、趣味は論語とバイブルだと・・・・。なんとも理解不能だ。趣味は映画観賞とか読書、スポーツなどでもいいのではないか・・・。とくに論語を読むことが経営に必要なわけではないだろうし、バイブルが宗教を意味しているのかもよくわからないのだけれども、どうもこの文章と同じで支離滅裂になってきている社会現象の一つのような気がする。
焦点をずらしてけむに巻くなんていうことだろうか。もっと現実的なことがないのだろうか。野党自民党の政調会長というひとが、まじめという評判なのだが、取り巻きが総理に・・・といっていてお笑い番組でそんなことをいうのかと、ちょっと不可解だった。
こびないこころというものを、政治家は・・・、とくに総理を目指すひとはしっかりと国民に示してもらいたいものだ。人気取りが大切だという誤ったメッセージを外国、とくに米国欧州の例から持ち出して、考えていること自体がおかしいのではないか。
愛知県、名古屋の選挙では、ポピュリズムという風潮について警報を出すコメントがあったようだ。地方の時代といえども、まだまだ道半ばのようだ。疲弊した地方経済の実態をみるとそういうポピュリズムに寄り添おうとする庶民の考え方に拍車をかけているように思われる。
その地方の時代の先端をいく人たちが、時の政権与党民主党の元代表と親しげに話すニュースはなんともいただけない気がするのだ。
何がほんとうで何がうそなのだろうか。
趣味は競馬とばくちだというのも、どうもいただけないのだが・・・。
支離滅裂な社会になっている状況に戸惑ってしまうのは、おれだけだろうか?
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