杞憂(きゆう)
とり越し苦労のことを杞憂という。
中国の杞のひとがいろいろとありえないことを心配したという故事からきているのだという。
天が落ちてくる・・・。怖い話だ・・・。もし、そんなことがあったら・・・。
でも、この世の中には天が落ちてくることに相当する事変がある。火山の噴火とか、津波とか、地震とかがそれに当たるだろう。
デモ、騒動、これらもまさに同じようなものではないか。
デマ報道があれば、その内容に因るだろうが、大きな影響があることは確かだ。
杞憂に終わるなら・・・、どんなことでも我慢はできるけれども・・・。しかし、現実は杞憂に終わることは少ない気がする。
一番いやな社会とは、私にとっては・・・、なんの意味もない人生しか送れないような社会であると言いたい。最近は、どうもこの社会に犯罪は絶えないものの、その背景はなんとも悪意も善意も感じられない単なる個々のそのひとの事情でしかない・・・というのだ。
すべてに手軽に・・・という傾向のようだ。
重厚さがいいということではないが、もっとひとのこころというものが感じられるような社会にはなれないのだろうか。
ごくろうさまでした・・・。おつかれさまでした・・・。
ありがとうございました・・・。また、お逢いしましょう・・・。
そんな会話もあまり聞かれないこの頃、将来はまったく消失してしまうかも・・・。きっとひとのこころはなくなるのではないか・・・。こころのないからだがいっぱい闊歩している歩行者天国なんて・・・、信じられない話だが・・・。
杞憂に終わらすためには、リスク管理とクライシス対策ということか・・・・。いたちごっこは杞憂であると信じられるか?・・・あなたは、信じられますか?
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