リビア騒乱
チェニジアはジャスミン革命。
リビアは騒乱。
エジプトはなんだったか・・・。
だれか、こういう世の中の状況を交通整理してくれないものだろうか・・・。
そんなことが模索されて久しいはずだ。国際連盟とか国際連合とか、地域連合とかが創られた背景は、まさにその活動の主体を創るということであったはずだ。
でも、国連にしても成果は微妙だ。列強が拒否権をもっているからだ。
そして、基本的な課題に素直に目を向けられないという問題を棚上げしているのだ。たしかに貧困撲滅をMDGsの最重要課題に挙げてはいるものの、貧富の格差は拡大するばかりである。
そこには、自由・民主というスローガンとは裏腹に、統制・専制が必要悪とされて、専政がおこなわれているのだ。最近の民間企業でもやはり同じような傾向があるのだ。独断政治の方が結論が早い・・・ということのようだ。
果たしてそうだろうか。
日本の民主主義は成長してきている・・・。
その証拠に東京都知事がイライラする様子があげられるのではないか・・・。予算も通りそうにないし、政権与党は予算も通せない弱体化・・・ということである。
タカ派で独断政治。
少なくとも今の日本には程遠い状況であろう。でも、それがこの戦後60数年で我が国の庶民が培ったきた民主主義の心得ではないのか。
対立ではなく、協力し協調すること・・・。少数意見の尊重だ。そこに今の政治の議論が公になり、国民が決断力のない政党だと都知事と同様にイライラするなら、条件付きの独断的な政治を奉ることも可能なのだが・・・どうなのか。疑問はあるものの、議論は尽きないだろう。
リビア騒乱は、40年に及ぶ積年の恨みつらみとその保身に疑いを持たない専制政治の見通しのなさに起因しているようだ。だから、押しつぶされてきた庶民の主張の一端でもよきリーダーの耳に到達できていれば、リスクのマネジメントはできたのではなかっただろうか。
リビアの騒乱でもまた大事ないのちが失われている・・・。
数百人のいのちと数百万人のいのちのどちらが大事か? 一人の人間の人格はどうなのか。生きる権利はだれにでもある。あなたは、どっちをどうする?
厳しいサンデル教授の質問がとぶ。ただ、これは仮定の話だから・・・。そうは言われてもはなはだ迷うことばかりだ・・・。民主主義の基本、人間の責務、倫理観などを哲学者として日々考える必要がありそうだ・・・。
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