大切なもの・・・
わたしたちにとって大切なもの。
それは、女性の権利と、宗教の自由と、政治の多様的な共存であるといわれている。
一部のものを排除するとか、集団で女性をしいたげるとか、政治の多様的な共存という中でも相容れない対立がおこる。感情的な対立へと上り詰めると、もう通常の解決策は通用しない。
やるかやられるか。どっちかだ。
とすると、みんなやっつけられるのは不甲斐ないと思われるので、力関係に目安をつけようとする。ちょっとでも強い側につく、弱い方には近づかないようにしなければならないと、心底思ってしまう。
もう、それは政治的な思想どうのこうのではないのだ。
あと一球で三振なのだ・・・。このピッチャーは手ごわいので、ほぼ決まりだ。
窮地だ。でもなんとか凌がないと・・・政治生命がなくなる。
でも、代表選挙でも破れているので、数の論理では戦えないのだ。そんな前提条件があるので、要は既定路線に茶々をいれることで、いいようだ。
偉い俺様に、こんなひどい仕打ちをしたら、大切なものを代わりになくすということを、やつら首脳陣に教えてやろうではないか・・・。
引導を渡してやることになるのだ・・・。
大切なものを、この国の政権与党も、国会議員の先生たちもみんな忘れて内輪もめのようだ。もう叩きあい、つぶしあいの域に入っているのかもしれない。野党にはもってこいの状況なのだが、日本国民の判官びいきはわかっているのだろうか。
ちょっとバランス感覚でやりすぎると、バッシングのムチが飛び、選挙での1票の行方は向きを変えるということなんかも心配することだ・・・。どうせ政策とか国民のためにとかいう看板はないのだから、適当なものだから・・・。
どううまくふるまうかで、次も議員で先生のままでいられるか決まるのだ。ここは、ちょっと大切なものをおいといてでも、自滅しそうな総理の側にはいない方がいいのだ。
でも、なんとも短命政権ばかり・・・という責任はないのだろうか・・・。
愚かな実験と編集手帳ではいっていたな・・・。すべて国民の責任だな・・・。金権政治は悪いなら、そうと明確に主張して突きつけることだ。国民の目が節穴だから、総理もジメジメといつまでもカンジチョウ、カンジチョウといっていたのだ・・・。国民のあやふやさがこの事態を招いてしまったようだ。
でも、それを金権政治に絡む疑惑を許したということではないのだ。逆なのだ。でも、当事者は勘違いしたがるだろうな。家来は離党でも、親分は知らぬぞんぜぬなんていうのは、水戸黄門のシナリオのようで気味が悪い。
大切なものってなんだ・・・。一政治家の疑惑を知らんぷりすることだろうか。法律はひとが創ったものであり、守るのが義務だ。そして、ひととして生まれたら、ひととしてやるべき責務があるのだ。
もう切迫している状況にちがいはない・・・のだ。
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