民活
官民。
民間と公共。
いずれにしても国民の生活が大事だということでは、民も官もない。
民なくして官はありえない。
官を形成する官僚は民の一部だし、民を形成する大多数は民間の企業、組織に属するのだ。
民間の活力をどう発揮させるか。
途上国にも一村一品という運動がある。そして、成功し村の生活向上に貢献している例が多くある。
そこには他の村との競い合いもある。ほんの仔細な差が大きな成果のちがいになって現れることがある。
それは、仲介する役割、コーディネーターとでもいおうか、アドバイザーとも言えるし、コンサルタントともいう。
そんな存在が極めて重要になる。なぜならばそこに客観性が入ることで、ものごとは大きく公益というものを意識することができるのだ。
私利私欲ではない。60数年も公の務めを果たしてもううんざりだと、独裁者がほざいてもそれは通用しない。国家でも会社組織でもなにか同じようなことがある。
官と民の関係も同じようだ。官は賢いひとが多い。民は多少劣るひとがいっぱいいる。だから、ランドマークのような存在の官僚出身者のオーラがほしい・・・なんていうことが、この日本では常識になっている。
民活。
ではどうする。
官は退職すれば、民になるものと想っていたが、実は違うらしい。そこには、計り知れない何か隠されたものがあるのだというではないか。
それは、一朝一夕でどうのこうのとなるものではない。
昔から侍の時代から、庶民と武士階級の間にあるながい歴史の産物のようだ。
今、すべてが変化しつつある中、新たな英知というものを、この「民活」といいう言葉にも盛り込んでいかなければならない。21世紀のこれからの数世紀の運命を握るはずだ。
そこに自信がなければ、日本という二文字を背負った国民としての自信が大切なのだ。
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