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八百長相撲になる・・・

マニフェストでの中身を勝手に変えるのは、違反だから、選挙で確認してからでないと協議はできない。

そんな前提を無視して協議に応じたら、それは八百長相撲だ・・・という趣旨の発言だったように思う。もちろん谷垣自民総裁と管総理の党首討論での話だ。

スポーツかどうかという疑問を「そんなものもともと興行なのだから・・・」とたたき切った都知事の高飛車な態度は、どうも国民大衆の心根の許容範囲を超えていると私は感じている。

勝負の世界では昔から揶揄されてきたことであろう。ちょっと不満な勝負があると疑いをかけられる。

そんな厳しい角界で力士たちは稽古し、大人になってきたのだ。政官財という区分のほかに、明るいところと暗いところがある。

陽のあたるところと、暗闇がある。昼と夜がある。表と裏がある。

みんながそう簡単に両方を行き来できるわけではない。だから、知らぬうちに暴力団で生計を立てるようになるひともいるし、庶民の一人として陰ひなたなく働くひとたちもいる。日々の生活ということでは、買い物をして、食事をして、社会のルールを護る家族のためにそうしているということもあろう。

そこに多様な行き来がある。でもそれは一人のひととしての生活の場での交流でありかかわりである。

相撲の話で、白鳳が「・・・というしかない」という発言がいやにも裏がありそうだと勘ぐられているらしい。本当は知っているんだろうといういうようなちょっかいを出されている。こういう微妙な雰囲気では、やはり発言に戸惑うだろう。何を言っても疑いの目で見られることは避けられない。

そんなことに憤りを感じる。もっと、認めてやってもいいだろう。八百長がすべての力士の合意のもとに行われていたということはあり得ないではないか。

ひとの一生と力士の寿命を考えるとき、絶好調とか現役の後段階で精いっぱい頑張っている時間とチャンスを取り上げるのは、まったく公平ではない・・・。

早急に場所を開催する手立てを踏むことだ。自主場所でいいではないか。とくに興行権とか関係なく、協会としての場所を続けるべきであろう。ファンのためにである。そして力士のためにである。

それは日本のためになるのだ・・・。

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