かんかんがくがく
正しいと思うことを堂々と主張する。
かんかんがくがくと議論をする・・・とか使うようだ。
まさに今の日本は、マスコミを含めて、政権の行方に「かんかんがくがく」のようではないか。なぜ、こんなに自由に奔放にいろいろな意見を正々堂々と言える国になったのだろうか。
私にはとても不思議な気がする。
三権分立という民主主義の原則があり、そこで立法、行政、司法が密に関係している。この国の行方とは何か。
どんな国家にしていくのか・・・というビジョンであろうか。
どんな国家にしていくのがいいのだろうか。
独裁者の専制国家だろうか。一党独裁の専制だろうか。それとも、共産社会主義という体制の国家だろうか。
ところで今は何だろうか。民主国家と言ってしまわないといけないのではないか。この状態でそうだと断言していいのか迷うものの・・・、冒頭に挙げたように「かんかんがくがく」という議論がある国は珍しいのではないだろうか。
でも、ちょっと幼稚な気がする。いや、大人の考えで意見、主張など議論の範囲を狭めてはいけないという考えがあるのだから、そんなことはないかもしれない。でも・・・、ちょっと面倒だな・・・という気分だ。
もう少し、手軽にできないものか。
日本式の手法による「民主主義・・・」「日の出国の民主主義・・・」とか・・・である。
日はまた沈む・・・とかいって茶化されそうだが・・・、そういう独自のものを醸成することがこの国は得意である。何か特殊な価値を見つけていかないと、このグローバリズムの中の経済成長一本主義の企業社会では地球規模の許容範囲をすぐに超過し、大気圏とか小宇宙空間をも席捲してその経済利益の廃棄物である汚染をばらまき続けることになるし、それがある小空間ですでに実証済みのように水俣病などの人災を起こし、ひとびとに悲劇を押し付けることにも必ずなる・・・ことを否定できないのだ。
かんかんがくがく・・・・。
では、どうする。
主権在民だよなぁ・・・、この国はそうだよな・・・。
一人ひとりの暮らしに目を向けることではないのか。国家の経済力を示すGDPという指標が正しいのかどうか、少なくとも個人の生活暮らしの快適さを表す直接的な指標ではないだろう。というよりも国民生活のよさをけむに巻くための指標でしかないだろう。
かんかんがくがく。
では、小沢問題をどう思う? 政権を移転させた功績があるから、民主党は少々のことは大目にみるべきだって・・・? いや、もともと金権政治のボスから派生したお金での政治活動での政局日和見主義者だから・・・、また同じ轍を踏むことになるって・・・?
だから、どうなんだ・・・?
もうこうなると、答えはない・・・。議論をする国のかんかんがくがくの議論を好きな国民になろうではないか・・・。百も二百も、いやそんなことではないもっと多くの問題課題が山積しているのだ。
国民一人がこの国のことを百とか千とかではなくとも10個ぐらい議論していけば、中国の人口と同じ十三億ぐらいのテーマについて多くの議論がでてくるのだ。そこから、新しい芽を見出すことだ・・・。
そんなことできっこないって・・・。かんかんがくがく・・・。
それでいいのだ。この国で、正しい主張ができるという国民が育っているという事実があればそれが、この国の将来をきっと導いていくのだ。
まだまだ続くのだ・・・。
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