深刻なこと・・・も、ふつうのひとつだろう・・・
人生相談。
最近はなくなったのかと思いきや、ネットに残ってる。
家族の問題は、なんともとても私的なものだ。
意思決定とかいう類の小手先ではやれない。また、そうするものでもない。いつまでも優柔不断でいい。見ていること、見続けること、信じること、疑わないこと、おのれを忘れることだ。大事なことは一杯ある。
深刻なことほど、そうは思わないことだ。思うという行為は何かを考えるということだ。だから、我を捨てることだ。とくにおのれという意識を第三者のようにすることだ。それではあまりに人間的ではなく苦悩のかたまりのようになってしまうから、適当に・・・そうすることだ。
自信を持つことだ。適当にそうすることだ。あまり気負う必要はないのだ。
適当にやる。深刻なことは、当事者だから、感じるのであって、関係ないひとには単なるそれだけのことでしかない。興味も関心もない。だから、当事者であることのチャンスをかみしめることだ。こんな風にしていればいい。
ただ、じっとできることはやることだ。できることはすべてやることだ。すべてのやれることはじっと見つめていることだ。この宇宙よりひろいこころの意識の中にその想いを持ち続けることだ。
深刻なことも、そのひとそれぞれである。ふつうにそこらへんに転がっているひとつのことなのだ。ごくありふれたものなのだ。ただ、あなたやわたしにかかわることはまれであり、それはとても恵まれたチャンスなのだ。
しっかりと見守っていくことだ。
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