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宗教というパンドラの箱の中身

この世の中に神という存在を創ったのはなぜだろうか。

宗教がなぜひとのこころにしみついているのか。それは、とても大きな謎である。

しかし、実在する宗教の間の関係はとても冷酷だ。

社会システムが宗教で成り立っていることがある。信教の自由というが、社会システムで単一宗教が推奨されると、そこで異教徒はとても冷遇される。

貧困と宗教は大きなかかわりがある。

宗教は貧困者に手を差し伸べていることがおおい。そして富裕層にもその影響力をもっている。社会のリーダーとなる富裕層には、そういう神格化されたものが必要のようだ。お金があれば、それを手に入れたいと想うのは世の常であろう。

ここに宗教というパンドラの箱があるようだ。

この中身は、どういうものなのだろうか。価値感だろうか。他者へ押し付けるべきではないということのようだが、現実は、宗教観が異なると価値感も違い、人間としての尊厳とかいろいろな面で違う。

格差社会ができる。優劣ができる。

劣勢は挽回すべきという考えがあると、そこに騒乱が起きる。

それは、さらに敵を創りあげて、攻撃しようとする。反撃をしないものはいない。そこに対立が激しくなり、双方関係者の中で戦が起きる。

このパンドラの箱はいつまでもなくなりはしない。

微妙なバランスだけで成り立つ社会が崩壊するのは、ほんのちょっとの偏りを与えることでいいのだ。

つまり、相手をいかに怒らせるか、あせらせるか、混乱させるか・・・というたくらみのシミュレーションがすべてのようだ。

今、この箱はいくつも蓋をあけはじめているように見える。だれが、ふたをしっかりと締められるのか、知っているだろうか。

共通の価値観をどこに求めればいいのか。極めて困難な問題だ。

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