宗教というパンドラの箱の中身
この世の中に神という存在を創ったのはなぜだろうか。
宗教がなぜひとのこころにしみついているのか。それは、とても大きな謎である。
しかし、実在する宗教の間の関係はとても冷酷だ。
社会システムが宗教で成り立っていることがある。信教の自由というが、社会システムで単一宗教が推奨されると、そこで異教徒はとても冷遇される。
貧困と宗教は大きなかかわりがある。
宗教は貧困者に手を差し伸べていることがおおい。そして富裕層にもその影響力をもっている。社会のリーダーとなる富裕層には、そういう神格化されたものが必要のようだ。お金があれば、それを手に入れたいと想うのは世の常であろう。
ここに宗教というパンドラの箱があるようだ。
この中身は、どういうものなのだろうか。価値感だろうか。他者へ押し付けるべきではないということのようだが、現実は、宗教観が異なると価値感も違い、人間としての尊厳とかいろいろな面で違う。
格差社会ができる。優劣ができる。
劣勢は挽回すべきという考えがあると、そこに騒乱が起きる。
それは、さらに敵を創りあげて、攻撃しようとする。反撃をしないものはいない。そこに対立が激しくなり、双方関係者の中で戦が起きる。
このパンドラの箱はいつまでもなくなりはしない。
微妙なバランスだけで成り立つ社会が崩壊するのは、ほんのちょっとの偏りを与えることでいいのだ。
つまり、相手をいかに怒らせるか、あせらせるか、混乱させるか・・・というたくらみのシミュレーションがすべてのようだ。
今、この箱はいくつも蓋をあけはじめているように見える。だれが、ふたをしっかりと締められるのか、知っているだろうか。
共通の価値観をどこに求めればいいのか。極めて困難な問題だ。
「心と体」カテゴリの記事
- 分かり易い文章(2019.02.09)
- 片べりの靴の教えてくれるもの(2019.02.04)
- 年齢に比例するもの・・・(2019.02.02)
- 散歩仲間?(2019.01.07)
- 本音と建て前(2018.11.19)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント