行き詰まり
最近のネット情報の制限をみると、そこに庶民のちからがよく見える。
制限、制約、禁止、強制。
そんなことを聞くと、そこにもし権力によるネット遮断がある地域は破たん目前の社会だと感じるのは私だけではないだろう。
ひとも同じだ。ひともおのれのこころの中にある情報を遮断して平静と安定を保とうとしても、そこには絶え間なく入ってくるモノがある。
それを遮断しようという気持ちはわかるが、遮断しきれない。
行き詰まりは見えている。
打開策はただひとつ、そこの遮断をなくすることだ。抵抗になるものを排除するか、または構築しないことだ。それとも緩やかなものにして自由にさせることだ。いいものは、自然と目につくようになるし、自分の興味や関心のあるものは、十二分に余裕をもって向き合えるのだ・・・。
必要以上に神経質になることは、なんとも無駄のようだ。いまごろ気付いてももう遅いかもしれないが・・・、そんなことへの情報もあまり気にする必要はないのだ。こっちの情報があれば、その反対のものもあるから、自由だ。広範ななかからとくに限定する必要もないだろうし、自分のことは自分で決めるという方向性だけを、ランドマークとして持っていることだ。
たったそれだけでいいのだ。
行き詰まるときは、それが必要な時だ。だから、立ち止まるのだ。自然に行き詰まりが解消していくことを信じることは難しいが、そういう経験はめったにできないことであり、とても貴重な時間なのだ・・・・。
行き詰まりが、わたしたちの人生では、一番大切なことのように思うのはわたしだけでしょうか・・・。
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