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いつ悟るのか天才は・・・

スポーツ選手はいつ、自分が天才であることを認識するのだろうか。

それは小さいころからの疑問だった。

学校で普通にしていても、運動会とかで特別な演技の披露があった。体操の上手な兄弟の演技だった。とても目の前で見せられると、信じられない才能としか思えなかったのだ。

そんな想いは、その才能を持つご本人の場合はどうなのだろうか。俺はひょっとして天才かもしれないと・・・いつ認識するのだろうか。

まったく気付かないでいて、ある時すっと成長していてマラソンなんかのランナーだと、結果が優勝とかいうことになるのだろうか。でも、その前に評価を得ていないと、競技そのものに参加できないはずだから、きっと事前に選手たちはいろいろな場面で察知しているのではないだろうか。

野球選手にしても、甲子園とか、プロになりそうな子供たちは、なんとも目立つだろう。それは、たぶん松坂選手なんかは、眼前で投球とかを見せてもらえたとしていたら、きっと「まったく違うぜ・・・」となるに違いない。

しかし大成していくには、自身が知ることはプラスであろう。そして、何よりも好きになるはずだ。友達よりもうまいという優越感は、たぶんいつの間にか、スポーツ種目のそのものを好きになり没頭して精進することにつながり、プロへの入り口にさしかかるということだろうか。

そして、そういう天才たちが集まるグループ組織の中で、さらにその認識を高めていくことでプロになるのであろうか。そしてまた大きく成長するには、なにかコツのようなものがあるのだろう。特別なものを会得する能力である。

大きく伸びるかどうか。それは、きっとなんでもないヒントだったりするものだ。いつも言われていた日々の掃除とかだったりする・・・。それが、実は積み重ねるという小さなことが、その自分の才能を支えて開花させることにつながってきたと言えれば、それは大きなヒントであったということだろう。

もちろん、大成するには、ひととしての学びが小さいころからあるというのがいいのではないか。この世の中には、いろいろなことがある。人生も才能あふれるというひとたちだけではない。普通のひとであったり、少し知能が遅れていたり、低かったりという人たちも同じようにいる。

ただ、天は二物を与えずとか言われるように、ひとつはだれでもいいものをもってこの世にでてくるという。

あなたのそのいいもの、いいところはなんでしょうか。わたしにもきっとそういういいものやいいところがあるはずだと想い見つけ出そうとしているのだが、自分にはまったくない・・・と信じてやりたいことは自分で努力するしかないと、そうずっと自覚してやってきた。

だから、普通のようである。普通って難しいものだと今は想う。小さいころは、何か特殊な才能があれば、人生楽だろうなぁと漠然と考えたりしていたのだったが・・・、そうでなくてよかったという気がする。

当たり前の人生を、しっかりと自分で歩みたいと今も思う。

だって、天才たちはその華やかさをもっていろいろな分野でその成果を私たちに見せてくれるから、自分でやる必要はないのだ・・・。そして、天才にしても、二物程度はあるかもしれないが、野球のプロでサッカーもプロで、水泳とかスケートとか、スケートでもフィギュアとスピードとすべてができるなんていう選手やひとはいないのだし・・・。

でも、マラソンの選手で一流のプロとなって、ゴールテープを一番できってみたいとは・・・いつも夢にでてくる・・・。もし、生まれ変わったらそう・・・ならなくてもいいか・・・。でも・・・できるなら・・・。出来っこないけど・・・。

私は、小さいころから自分は平平凡凡な運動神経しかない・・・と、運動会でもう感じとっていたのだ・・・。そして、一人のスポーツファンになっているのだ・・・。

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