乱を好むとき・・・
世の中が一度乱れると、その復興には大きなリスクが伴うことを知っているはずだ。
よほど悪い社会でないと、乱世にはならないのも事実だ。
でも、窮地に陥ると、なんとか世の中の混乱で救われたいという気持ちがだれにもあるのではないだろうか。貧しさもそうだろう。そして、話題は変わるが、受験生の気持ちはどうだろう。受験がなくならないかなんていう気持ちはないだろうか・・・。
乱を好む時というのは、変革する側にとっては大きなチャンスであり、その波に乗っている間はいいだろう。でも、いつしかその夢や希望や目的を忘却するのが常のようだ。革命家が贅沢三昧の悪の権力者になり下がるのだ。
なぜだろうか。
口車に乗せて国民を欺くのは簡単だと想い違いをし、おのれを神のように誤解し、崇拝を強制するようになったら終わりだ。そこに未来はない。でも、平静を装うのは、なぜだろうか。
もう、現実の社会からこころもからだも遊離してしまっているからではないか。ヒトはいつまでも生きることはないという現実を忘れ、いつまでも続くという大きな間違いを犯すのだ。
国際社会でも国内社会でも同じだ。
悪いことはしていない・・・。そこにはたくらみしかないようだ。あっちもこっちも何か黒い悪のネットワークが暗躍しているではないか。人気取りの政治家、面白おかしさしかないえせ政治家が多すぎるのではないだろうか。
汚職疑惑で起訴されるのは、名誉だろうか。名誉棄損罪で訴えるのだろうか。あくまで清廉潔白というのだろうか。一方で政治はお金がかかるという。どんどん子分にお金を渡すことができるのはなぜだろうか。事業で稼いだお金ではなさそうだ。もっともお金の動きには税金がついて回るのだが政治家の場合は、政治資金規正法の範囲で護られているのだということらしい。
窮地で「乱」「混乱」「政権打倒」「国会解散」となり、けむに巻くことが可能かもしれない・・・。そんな淡い期待が乱を好む今という時をこしらえているみたいに想うのだ。
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