小菅ってなんだ・・・
こんな言葉聞いたことがない。
一体、小菅ってなんだ?
小菅刑務所ということだろうか。綾瀬駅からいくあの小菅刑務所のことか・・・。
でも、ちがうようだ。
小沢さんの「小」と、総理の「菅」をくっつけたものらしい。
なぜ、こんな2文字が新聞の論評にでてくるのか不思議だ。テーマというかキーワードは求心力だというのだ。
お互いが協力して相乗効果を出すというならいいのだが、政権交代の民主党という舞台でへの国民の求心力を分散させ、拡散させ、消滅させているということへの相乗効果のようだ。
相乗効果でもその目的は、今、内紛の口実としての意味合いしかないようだ。手先を使って私は知らないと嘘ぶく様は、なんとも元秘書のしっぽ切りのようで合点承知とはいかないのだ。胡散臭さが広がり、そして、総理の身に及ぶものも同じことなのだ。
何か弱みを握られているのではないか。もちろんそんなことはないと承知しつつも、陥穽に国民ははまっていくのだ。不人気というムードでは、こんな船には乗れないという風潮になる。だから、今後の船の乗り方をもう研究している議員はいっぱいいるようだ。
でも、そこで次の戦艦の艦長になるべきだと言われたらどうするのだろうか。燃料のない見せかけの航海計画を全うできないで、すぐさま敵艦に発見され、撃沈される運命かもしれないのだ。
小菅は忘れよう・・・。
こんな言葉を出していた意味がわからない。
要は、戦艦でいいのか。そういう議論から始めるべきだ。大地に足をしっかりと這わせて歩むことだろう。いくら戦艦武蔵2世を建造しても、そこにこれからの柔軟な知恵が行き届かないのなら、邪魔ものでしかないのだから・・・。
ヒトは変わるものだ。そういう可能性を持って生まれてきたのだ。悪ければ代わる。もっと良くなることができる。
対立から共同、協力、そして連携し、さらに強化していくことだってできるだろう。既存の権益を考えるとするなら、それは至近に迫りくる嵐が見えないからだ。すべてが風雨とともに飲み込まれて壊滅するという事態が想像だにされていないのだろうか。
明日の見出しが「小菅連携強化、民主再生への大いなる可能性が生まれた・・・」なんていうのは・・・ありえないことだろうか。
この国の国民は、素朴な政治を標榜しているのだ・・・。派手さはいらないし、いらいらした指導者もいらないのだ。困ったなら、この国で立派な教育を受けてきた誠実な国民大衆に是非を問うてみたらどうだろうか。信用できない国民ではないだろう。
それは一人ひとりが、この国の主権者であるということを自覚している数少ない国家の国民なのだから・・・。
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