緊張関係の構図
イスラム圏の中東アラブ、そして東南アジアもある。
そして、独裁国家の存在がある。
そこには緊張がある。その緊張をあたかもないかのように「見えない化」する政策が重要視されているのは、今に始まったことではない。
緊張は何から起きるのかというと・・・、もちろん、不均衡から起きるのだ。
そういう不均衡をなくそうという動きはどこにでもある。不均衡とは悪い状況をいうものであり、それは改善を要することなのだ。
だから、大衆庶民が不均衡を感じているなら、そこには是正という2文字が常にあるのだ。そういうことを国家の主権者である国民が選ぶ権利をもっているというのが、普通にあるべき社会である。
でも、この世の中の意見、主張はなかなかまとまらない。多数決という原則を上げても、それはいつも少数に牛耳られてしまうことになるのだ。なぜならば・・・、それは世界各国で証明されている通りだ。利益の分配が少なくなるという理由だ。だから、独裁という統制が続くのだ。既存権益としてしまうと、そこから抜け出すのは容易なことではないだろう。
それは麻薬だからだ。
他国を支配するためにアヘンが使われたことは世界が承知している事実だ。緊張関係を消滅させるための謀略でもある。
常に国際関係においても、国内においても権力闘争の中では、緊張関係があることをないようにマジカルにしてけむに巻くということだろうか。
問題があるという前提が解決策になると、私は信じて疑わないものだが、ここに慎重な対応が必要だ。事実誤認というノウハウが隠れているのだ。
どうやって隠すのか。
遮断することだ。
情報も遮断されれば、ないことになる。
エリッククラプトンなんて、北でもどこでも好きなひとは好きなのだ。でも、好きになるにはその存在を知り、そしてその良さを知る必要があるのだ。
田舎で育った私は自然の中の鳥の声とか四季の変化とか、冬の寒さ、厳しさ、しもやけのつらさを含めて春の到来のうれしさも含めてしっているのは、そこに現実としてあり、体験してきたからだ。
でも、クラシックの良さは、そのころもずっと知らなかった。だれもそんなクラシック音楽を聴いているひとはいなかった。歌謡曲とか浪曲とか落語、漫才というものは、そこにあったのだ。でもクラシックの良さとかいうものは、子供のころにも大人になってもなんとも思わなかった。面倒な音楽、古い中学の音楽室の変な写真の人たちのつくったものだというぐらいだろうか。
そんなクラシックが何か、脳細胞にいいという例の茂木健一郎氏の作品CDがあり、10年ぐらい前に購入した。それ以来、何気なく聴いている。
今は、あの流れ(メロディー)が好きになっているのだ・・・。不思議だ・・・。
緊張関係の構図。ないものが加わることでその好き嫌いとか問題の是非とかいう均衡関係に変化が現れる。
もしも、そういう変化が忌み嫌われるものなら、そこで遮断するのが最善策であり、最悪の施策になるということを為政者は認識しているのだろう。
でも、既得権益という保身が最優先になる・・・。それは、既得権じゃのしあわせが大切なことだからだろうか。たとえごく少数の権益であっても、それは手放せないものになっているのだろうから・・・。
主権者の国民は、貧困にあえいでいるのに、日々の生活の改善の兆しは見えないし、情報もないし、社会的な運動も知らないし、その境遇に甘んじるしかない。衛生状態が悪ければ、ちょっとの病気でも死にいたるし、そんな人生だとみんなが考えざるを得ないと思いこんでいる。
そこに緊張関係がある。少数の富裕層、大勢の貧困層。利益を貧困層に還元したら、どうなるだろうか。混乱が起きますよ・・・とうそぶくのが為政者の務めだ。すくなくとも国際的な関係ではそういう理由をつけるのだろう。
情報がなければ緊張関係を悟ることはできないし、解決すべき課題もないことにしてしまう一番の方便になる・・・。
でも、この方便という言葉は結果として「悟りに近づく方法」でもあるというのだから、いずれは課題として明るみにでてくることになり、解決への行動へと主権者が動くということになる・・・のだ。
緊張関係の構図は、とても簡単なものだ。
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