78歳のリーダーはあるのか・・・
今日稼いだお金での生活をする。
親からもらったお金に頼らないことが実はこの世の中では大事なことではないのか。
今の社会を江戸時代の偉人にやってもらうというのは、選択肢としてあるのだろうか。
できれば、今の人材で今の社会をマネージすることが基本ではないのか。
ところで78歳という年齢は別にして、現代の才能ということが、果たして言えるのだろうか。そこまで3期務めてきたひとに4期目を依頼しなければいけない厳しい状況にあるのだろうか。疑問ではないか。
たしかに社会によっては、後継者を育成しないで、逆に排除するというやり方が普通だ。それが、ひとの通常の思考回路に一番当てはまっているとも言われる。そうでないと何か善人ぶってという非難を受けるとか・・・・。
狡猾さはあるだろう・・・。
でも、そこにフレッシュという言葉はない。
それでも、都民が選ぶのだろうか。
今後10年、20年、50年、そして100年の計を考えるというときに、そんなもっと今を代表する頭脳とか才能を選択することが大事ではないのか。
温故知新というのは、そこに先人の知恵として蓄積されている財産があることを意味し、それを今を代表する才能が駆使していけるのだが、そこに異論があるのだろうか。
それとも独裁的リーダーはなかなか若い才能を認めないで否定するだけで、実はそこに指導者を育成しようという姿勢がなく、保身に走っているということでもあろうか。
もっと、自信をもって、若い世代に交代を迫っていく姿勢が重要なのではないだろうか。世襲のために、道筋を創るという愚を犯しているのではないだろうが、何かとてもせつない気持ちになる。
もしも「今の若い者は・・・だらしない」とかが理由だったら、それは老いのかいかぶりではなかろうか。
はたして、ほんとうに78歳の4選知事なんてありうるのか。都民の選択なので他県のひとに批判される問題ではないと想うが、ちょっと気になるものだ。後だしじゃんけんって、ちょっと狡猾だよな。
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