教訓
何を学ぶのか。
日々起きている事象から、おれたちは何を学びとっているのだろうか。
あまりにも多すぎて、のど元過ぎれば熱さを忘れる・・・ということであろうか。
そうしなければ生きていけないという・・・教訓であろうか。
災害は忘れたころにやってくる。
じっと待っていることでは人生はつまらないとも思わないか・・・。
じっとただ待つだけの人生もあるかもしれない・・・が・・・。
果たして何をまつというのだろうか。
災害を待つなんていうことだろうか。何のために待つのか・・・。
よくわからなくなる。
対策を施す。十分かどうかは不明だ。当たって砕けろである。
やらないよりはましなんていうこともよく言われる。
そうだろうか。
何もしない方がいいという意見も多い。
五十歩百歩だ・・・とはよく言われる言葉だ。
あまり違いはない・・・。実はそうなのかもしれない。とくにそれは想定した範囲かどうかなんていう質問があると、あまり変わらないという方が正しいような気がする。
想定を外れたら、それはもう論外だ。いくらお金をかけて安心、安全といっても、そこのところは事業予算の数千倍もかかるので論外です。そうなると総合的な効果はなくなるということである。当初の事業予算は、その場合無駄だということになるのだ。
では、どうする。原発の問題と地震災害の評価、そこに当然地震によっておきる津波の被害もあるのだが、そこに総合的なバランスがとれていたと言えるのだろうか。
原子力の専門家は、地震の専門家でもないし、津波の専門家、研究者ではないことが多いだろう。
だから、今は総合力が極めて重要になっている。総合的なバランスの取れた施設計画、互いに責任をなすりあう計画ではなく、それぞれの弱点を補い合う計画が今求められているのだ。
より経済的により大きな効果を上げるにはどうするか。
このテーマがまずあるということが重要なのだ。
そんなことはできないという風潮をまず、なくすことだろうか。
大洪水もありの一穴から・・・というのは、この場合極めて的確な教訓にかかわる言葉ではないだろうか。
教訓を改めて見直すこと、今回の東日本大震災の被害状況に照らしてかみしめていかなければならない。
ほとんどの教訓は、現実に起きたことが正しいと指し示しているのではないだろうか。
それは、教訓が教訓たる価値をもっているという証拠であろうか。
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