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衣食住と医職従

どこの世界でも着るもの、食べるもの、住むところが重要なのだ。

そして、それは災害時の基本である。

いくら防災を完璧にしても、その想定を超えることは、大自然にとっては簡単なことのようである。とても移り気な大自然であり、恵みを与える大自然でもある。

そこでわたしたちは大自然から衣食住の機会を得てこの世界で暮らしているのだ。そして、わたしたちはそういう大自然の恵みを利用して、医療、職場を得て、社会の奉仕などに従事しているのだ。

そういう仕組みをわたしたちの社会は持っている。

だから、この自然現象としての地震とか津波とか台風とか豪雨とかかみなりとか竜巻とか洪水などとどう向き合うのかが大切なのだ。

決して自然はわたしたちの敵ではないし、友達というか、生活の空間そのものであり、時間的にもその人生のすべてに関係しているのだ。大自然という時空間の中で、わたしたちはなにをしたらいいのか。

対立するのではなく、そういう場合はこうしていくとかいうような考え方がないのか。防御することになると想定範囲が問題となり、そこを超えるとわれわれの社会は被災する。震災となり、水害となり、いろいろな自然災害としてこのわたしたちの社会に打撃を与えることになるのだ。

だから、今、BCPとか如何に災害があっても事業を継続していくかに絞った計画立案が叫ばれているのだろうか。

それなら、そういう対処もある。自然をできるだけ残す。そういう自然の中で暮らすという基本的な方針を決めることが可能なら、そこに新たな生き方というものがあるのではないだろうか。

わたしたちの社会の大きな仕組みは、自立が一番であろう。それは、個人の自立であり、家族・グループの自立であり、そして地域の自立である。そこにもっと広域の自立社会ができるのではないだろうか。

そういう中で、小単位の地域が依存しあうというリスクマネジメント上の広域での自立ということが可能ではないのか。

自然現象は社会現象において災害をもたらすことになるが、それは当然起こるべくしておきている自然現象だと考えるなら、そこについてのわたしたちの対処方法はちょっと変わってくるのではないだろうか。

どんな選択をするかは、わたしたち自身の選択と研究と問題解決力にかかっているのだ。

社会的弱者には常に、最適な衣食住を提供していくことが大事だ。その中でできるかぎり、健康面での医療、そしてひととして自立して生きている喜びをもつことのできる仕事があること、そしてそういう中から社会へ貢献する奉仕活動がひとりひとりに可能なそういう世界が創造していければ・・・と想うのだ。

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