手がはなれて・・・
災害は、社会現象だ。
地震や津波は天変地異であり自然現象だ。
そこに、自然現象に巻き込まれた状況がいろいろと語られている。
とても涙なしには、聴いていられない悲しいことだ。
そこにあった笑顔や、怒った顔が・・・、もうないのだ。
どこへいったのか。いつか、久しぶりとか言って帰ってきそうな気持ちは消えないのだろうと想う。だれかが、ともだちのいたことを、おとうさんやおかあさんがいたことを、そしてばあちゃんはじいちゃんがいたことを決して忘れはしないだろう。
どこへいったのか。どっか海の上で、まだ生きているかもしれない。がれきの中の隙間で生存しているかもしれない・・・。
いろいろなことが本当に奇跡が起きてほしい。神に祈ることで、生き返るとか、生命が保持されるとか・・・、そういうノウハウはないのだろうか。
不老不死を願うわけではない。ほんのちょっとの人生の寿命の当たり前の年月を過ごさせてほしいというだけなのだ。
手がはなれて・・・とか、お年寄りが残っているのでまた急いで救出に村へ戻っていった・・・とか、そういう場合はとくべつに・・・・してくれることはできないのだろうか。
津波の速度を遅くするとか、そんなに急いで大好きなひとや心やさしいひとのいのちを奪うことがどんな自然の営みに関係しているのでもないと想うのだが・・・、なんとも悔しいばかりである。
地震が起こす津波に勝つには、どうしたらいいか。
手が離れていった・・・、その悔しさをなくすには・・・どうしたらいいのか。
このニュースを聞くとまた涙とくやしさがにじみでてくるのだ・・・。なんとかできなかったのだろうか。
なんと無力なのだろうか。いつまでもこのままで仕方ないのだろうか。どっかにきっとあるはずだ。この悔しい悲劇を2度と味わいたくないという気持ちだ。
現実はすべて正しいともいう。天変地異にどう対処するか、大きな課題だ。豪雨でなくとも普通の雨でもヒトに止めるとことはできないのだ。
そして、好天もどうように制御することはできないのだ。どう生きたらいいのか、こころのケアが本当に大事なのだと・・・、想うのだ。
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