志と志半ば
志とは大きな夢とでもいえるのではないだろうか。
志半ばで力尽きるのは構わないのだが、力が尽きていないというのはほんとうに悲しいと思うのだ。
いろいろなことを想い、海外へと旅立つ若者やこころの若いひとたちがいる。
そして、そこで日本人の特徴を本当に映し出して活躍する。
そんなことができるようになったのだ。
でも、そのレベルに日本人が到達するには、優れた先人たちの挑戦があったのだと私は想う。
昔は簡単には海外へといけなかった。
想像する外国人と海外の生活は、頭の中でいろいろな形に膨張してしまい、その地へいざいくという決心をするときには、かなり防備が出来上がっていなければならない状況になってしまう。
そこには、あまり日本人という良さは残らない。だから、エリートという日本人の姿でしかないし、本人もそう思って行動していたのではないか。
今、そこが違うようだ。いろいろな分野で若者が海外で活躍している。スポーツだけではないのだ。だから、自分のやりたい分野で自分なりに活動するという考え方がそこにあるように思うのだ。
みんなテスト、テストで明け暮れていると、なんでもかんでもそこにランクがあり、その序列にしたがって選別されてしまうことがあり、本人もその気になってしまう。
しかし、個々にそのやりたいことはちがうのだ。だから、ある一つの基準だけにしたがったランク付けは意味がない。というより、あっちもこっちも、そっちもは一人ではできないのだ。
何に一番興味あるのか、そこにあるリスクに対して対峙していく覚悟があるのか・・・など、そのやりたいという想いが実現するための物差しであろうか。
あきらめるな。
どんな落ちこぼれでも、そこで覚悟を決めてかかることで道は開ける。
ひとはあまり優劣の差はないのだ。テストで比較されるぐらいの能力があれば、ひととしての機能はほとんど変わらないのだ。おなかがすいている時の食欲と、おなかがいっぱいのときの比較ではどっちに軍配があがるだろうか。
志が大事なのだ。そしてそこにかける想いが大切なのだ。個人のレベルでは、それが一番重要なことだと私は想うのだ。
ときとして、志半ばで運命が変わるとしても、そういう覚悟で生きることは、やはり志を持つことの意味が大きいのだと教えてくれているし、そこから学びとることができると私は考えている。
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