さかなとの駆け引きのようなものか・・・
釣り師の心理。
今日は女房と喧嘩して気分が悪い。今朝は旦那と仲たがいしてすっきりしない。
毎日上司に脅されてもういやだとおどおどしているひともいる。
そんな心理のひとたちばかりだったら、その瞬時の社会もきっとおどおどしてしまうのではないだろうか。
何が悪いのかわからない。上司に脅される部下、あいつが何を考えて起こっているのかわからないと嘆く主人、うちの旦那はいつもぐうたらでつい愚痴がでてしまうと反省する奥さん・・・、みんなどこがどうなのかわからないのだ。
だから、その土地のリーダー、その国家のリーダーも定まらないのだ。あっちがいいと想えばだめで、また変わったらすぐにやめてしまう。やっと、新リーダーが選ばれたら、力量不足、字が読めない、品格がない、こびるだけのリーダーで国際的に無視されてしまう。
おどおどした国民が選ぶものはどうも買いあさりのようで、要らぬ評判だけを気にして本質的なこの国の大きな課題がまったく認識されていないのだ。だから、社会そのものもおどおどしている。
どこでもいつでも、競争で負けるのは嫌だし、ましてやびりなんていうのは誰かがなるのだが、なんとか避けたいと想うのが個人でも国家でも同様だ。
国際的に無視されてしまうリーダーがいたら、とても恥ずかしいものだ。だから、そこで現実をゆがめて報道する。実にいい国際会議だった。十二分に相手国の代表に私たちの主張を伝えた・・・と、うそぶくことになる。
相手国の論調はまったく違ったりする。
相手にならない日本とまでは言わなくとも、もう相手にする必要もないなんて心底では想うっていたりするのだ。
釣り師がさかなを釣るという一点だけで、さかなと駆け引きをする。心理作戦が釣り師にはある。
そのためには、さかなを誘導することが必要だ。釣り針のエサをどうするか。さかながおなかがすいているとわかればそれはしめたものだ。あまり好き嫌いを言わないから、とても楽な作業になる。
これは好機だ。
だれもがそう想う。
ちょっと威張っている経済大国の日本をいじめてやれ、社会が自信を失い、政権が信頼のを得ていない状況だから、ちょっとからかってみて、それでも大丈夫そうだったら、一期にやっつけてしまおうか・・・。
そんなことを相手に印象付けるリーダーの不在国家になってしまった。
人類ではなく自然もそういう好機をにらんでいるという擬人化もありそうなこの日本のだらしなさがあった。
それは、ひとりひとりのこころの中に何か戦後の経済成長と現在の失速があるのだ。成長が迅速だったでけに失速の喪失感はすごく大きな心理的ダメージを与えたのだろうか。
それとも、グローバル化で、日本企業はこの国土をすてようとして世界へと羽ばたいていいったために取り残された一部の大多数の日本人という典型的な姿がもうこの世界とかけ離れてしまったのだろうか。
さかなも種類によってまったくことなる行動範囲であり、異なる生態系をもっているのだ。国家も同じではないだろうか。
成長期から安定期、そして老年期へと向かうだけのシステムなのだろうか。それは、世代というものが新たに出現してその世代の成長が社会にもあるのだ。
決して、先人たちが後からくる世代のゆく道を閉ざしてはいけないのだ。そこに行く道を作り上げて提供することも必要はないのだが、自分たちの世代の後始末はしっかりとしていかなければ、さかなは一尾もつれないことになる・・・。
さかなとの駆け引きのようなものが、この世界、この世界にはあるのだ・・・。
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