汚染差別・・・
地域の特徴とか・・・。
普段気にしないことでも、他者から指摘されると、気になるのだ。
放射能汚染というのは、よく花粉とか、悪臭にたとえられているようだ。
あいつは臭いと言われ続けるとしたら、とても嫌だ。
あいつの国は臭い国だと差別されたら、とても嫌だ。
でも、これからの世界は何かそんな風になるのではないか。
環境にやさしいという核エネルギーはCO2のことだけの話だ。
もう汚染されたら、その土地には住めないし、食べ物も汚染されたものとなり、ずっと不毛の土地となる。太平洋のビキニ環礁は米国の原爆実験に使われた島だ。そこの住民は強制的に違う島に移住している。
子孫への影響もある。婚姻関係では問題視され、差別だということになる。表面では何も言わなくとも、ひとの防衛本能というものはなくならない。
だから、環境汚染で子孫へ大きく影響する危険性をはらんでいるのだ。日本は唯一の被爆国としてそういう事態を強いられたのだ。この世界には、被爆という意味では、実験、戦争、事故と、原因は異なっても、同じ環境悪化の中にたたきだされた住民が存在するのだ。その悲哀は言葉では言い表せないことだ。
まず、科学的な知識をしっかりと持つことであろう。そこから、総合的な評価を加えて、わたしたちは意思決定を社会として行わなければならないのだ。その視点はやはり人類としての継続性であろうか。孫子のために、わたしたちは何をしなければいけないのか。
天変地異は自然現象だ。そしてそこには生活を営む私たちの世界が自然災害を受けることになる。また、その自然災害は生活インフラに影響を及ぼし人災という社会的な現象としての災害になる。
そこには、ハードとソフトがある。一番恐れているのは、ヒトとして、そこで差別を受けることになる精神的な苦痛であると私は想う。
だから、差別を受けるという前提ですべてを考えていくことであり、どんな時でも自立する力を蓄えていくことだ。他者に頼ることもいいだろうが、それはきまぐれであると認識してかつ理解していかなければならないのだ。他者には他者の都合がある。
災害はひとつだけではないし、いろいろな紛争トラブルが世界には充満しているのだから、常に注意をしていなければならない。
国土を護るということからすれば、差別なんてなんともないし、それが人間の防衛本能のひとつだと認識すべきことであろう。
今までこの東北関東大震災で支援してくれた各国にはほんとうに感謝したい・・・。最後は自分たちの責任で「大丈夫・・・」にしていくことだ。きまりきった固定観念ではなく、柔軟に英知を絞って対処していこうではないか。
大丈夫だ・・・、きっと。大丈夫になるまでやるのだから、大丈夫なのだ。きっと、そうなるのだ。
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