泥舟にのる覚悟・・・
硫黄島の海岸にあったのは、コンクリート船だった。
米軍と日本軍の慰霊碑が例のすり鉢山にある。
そのコンクリート船は鋼鉄類がなくなったためのものである。
戦うという意思があるのに、資材が欠乏していたのだ。それでも戦うのはなぜだろうか。敗戦というものを知らないし、天皇陛下のために戦うというお題目がいつもあったからではないのか。
そういう固い決意があったのだ・・・と、今思うのだ。
はたして、だれか泥の舟にのるだろうか。そんな勇気のあるものはいないのだ。同じ政党内での抗争は醜いものだ。選挙で戦ったのに、何か意に沿わぬ結果は無視しているとしか見えないのだ。早くやめろ。一秒でも早くやめろということを言っているらしい。もう、何か狂人のようにしか見えないのだ。
果たして、本当に泥の舟なのだろうか。庶民派の宰相ではないのか。そんなに格好がいいとかスマート(姿が・・・)だと言われてはとても恥ずかしい庶民派であろうと思うのだがどうだろうか。
泥の舟。
結構ではないか。コンクリートで耐水性を保って建造した船で硫黄島までいったのだから、そこで力尽きてしまったのは仕方のないことだろう。
まあ戦は論外のことだが、資材がなくとも、材質がどうであろうが、舟にはひとがのる乗り物なのだ。それが、どこにあるのかを知らずに泥の舟は危ないと叫んでごまかしているのだろう。
本当はその泥舟は陸にあって、あまり材質には関係ないのだ・・・といって、堂々と乗りこなすご仁はいないのだろうか。
もちろん船長というか艦長というか、司令官は総理なのだが・・・。
陸の泥舟だ。だから、大丈夫だ。日本国民のリーダーなのだから、きっと最後まであきらめないで頑張れ。あなたのほかにはだれも今、頑張れるひとはいないのだ。
もういやだ。一年で何人も交替、交換、後退なんていうのは、はずかしくて見たくもないのだ。ちっとも危うくないのだ。泥は陸の上にあるのだから・・・。沈むことはない。防御の役に立つ泥なのだ。
泥の舟が陸にある時の強さを見せてやれ・・・。
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