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大地に足をつけて・・・とはいうが

いつも大地にしっかりと両足をつけて踏ん張って生きていこう。

そういうことを考えてきた。

このこと自体、心理的な意味での勇気を奮うためのものだから、当然構わないのであるが・・・。

ちょっと、気になることがある。

大地とは何か。それは、この地球上の岩盤である。その下は、火山のたびに思い起こすマグマがある。大地とは、マグマの皮のようなものだといえそうだ。

地球全体の大きさからすれば、とても薄っぺらなものだろう。

そして、その構成をみてもそんなに安定はしていないようだ。いくつかのプレートでできているのだ。いくつかの大陸のつながりがあり、それらがまったくの一枚岩ではなく、重なり合って地球のたぶん表面の変形を吸収しているのであろうか。

だから、わたしたちのいう大地はときに自然現象として地震を生み、海でおきた地震ならその周囲の海水にまた影響を与えるのだ。津波となって、その海水の動揺となって伝播している。これらも自然現象だ。

何もなければ、そこには波紋と陸地での消波となって消えるのだろうが・・・。

そこにはやはりヒトの生活がある。池の周りにいる蟻の巣とかをみると雨が降るたびにその程度によっては浸水しているのだろうし、波がぶつかれば巣は破壊されているのであろう。

だから、そういうものを自然に逃がすにはどうしたらいいのか。よく議論をして意見が対立することは多い。取っ組み合いになることはまれにしても、心理面での軋轢は必ず起きるのだ。そんなとき、こころを大地にしっかりと根付かせてみるとか、大地から叡知をさずかるために両足をつけて落ち着かせることもあるのだが・・・。

そこが、ときどきぶれることが多いのだ。とくに最近の社会は複雑になっているので、ひとつのことから見てもいろいろな障害にぶつかる。これはもうだめだと想うようなときには、とても事前にわかるような問題ではないといい、予断はできない事象だとかいうのだ。でも、そういうことを前提にして議論するのは、狡猾すぎるのではないか。

やはり、地震とか津波という自然現象を敵視することからは何も生まれてこないのだ。神様のせいにしてもそれはどうしようもないのだ。天罰でもなんでもない。それは自然現象なのだとしっかりと議論する場合の共通の認識としなければ話は進まないのだ。

そして、震災ということにおいて、社会の仕組みとその災害の程度、影響についての関係をよく技術的見地から把握することが大事なのだ。そして、そこに社会のニーズとかに基づいて検討していくことが現れるのだ。

大地に足をつけて・・・とはいうが、基本的な問題の把握についてまず共通認識を持つ必要があるように想うのだ。

いろいろな評論家がいっぱいいるのもいいだろうが、やはりそこにいろいろな専門家が共通の認識をもって対処するいう仕組みが一番重要なのだと、私は考えている。

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