サバイバル・ギルティとは?
NZの救出は終了だという。
肉体を失ったものたちは、なんとも悔しいだろう。
そして、たまたま生き残ったひとたちも、運がよかったとぬかよろこびはできないし、だれもそんな気持ちにはなっていない。
とても困難なサバイバル・ギルティという「なぜ、おれだけ生きている?友達はどうして・・・?」という想いにさいなまされるというのだ。
たしかにそうだろう。それは、日本では多くの人たちが経験していることでもある。戦争で助かった人は戦友のことを想い、友のためにも生きようと決意して、勇気を振り絞って再起したことが多いのだと言われている。
NYKの例のテロ事件であっと言う間になくなった人たちはそれこそ、自然の猛威ではなく人的な対立の犠牲になったのだ。破壊という犠牲になってしまったのだ。そこでも、多くの犠牲者がでた。そして少数の人たちが生き残った。なぜ、生きている・・・。死んだ方がましだという感情が多分、大勢を占める心理的な空間の中で、みんなどんなことを想うのだろうか。
後ろめたさ。
そんなことでは表せないものだろう。
そして、その前に「なぜ、おれが・・・」という気持ちもあるのだ。なぜおれがこんなことに巻き込まれなければいけないのか・・・?という重たい気持ちもある。
災害は尽きないと・・・いう。
だから、そういう経験をした人たちは、戦争の悲惨さとか、肉親が理不尽な事故でなくなった悔しさとか、偶然の結末とか、いろんなことを、周囲のひとたちにお話ししてみる必要がある。それは、これから同じことを経験してしまわなければならない人たちに、いろいろと教えて伝えることができるのだ。そこに本当のこころからの想いがあるのだから・・・。
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