ネコとネズミ・・・
海洋生物の生態系が変化しているらしい。
小さな魚たちが増えている。これは大きな魚が減っているということだ。
大小というとよくわからないが捕食者と被捕食者の関係でいうとよくわかる。
ネコはネズミが存在するために必要だという。でもネズミはネコがいなければ繁殖で増えることになる。ネコが増えるとネズミはエサのひとつとして減ることになる。
この関係は相互に助け合う生態系の中でのバランスの重要性を論じているものだ。
恋愛も同じように言えそうだ。人間だけでなく生き物はオスとメスがいて、その子孫を種として存続させる使命を負っているのだ。
では、強い国家が武力で弱小国家を駆逐することが正当であるとでも言えそうな気がしないだろうか。ロシアは日本の北方領土に軍事力を展開することを実行したというのだ。そんな馬鹿なでは済まされないことだが、同様に南方では尖閣諸島に狙いをつけて残された地球上の資源の陣取り合戦を企んでいる中国がいる。
日本はいずれの場合もネコではなく、ネズミらしいのだ。
しかし、こんな毒を持つネズミを食い殺してしまったら、おそろしい結果がまっているのを知るよしもないだろう。おとなしそうな日本人のイメージはつい最近のことだけなのだ。その本性はまだ米国に強制された民主主義で覆われてしまっているが、まだこの50年60年だけの話なのだ。
そろそろ猫かぶりは終わりかもしれない。
その引き金をロシアと中国は引きそうになっている。こんな軟腰の国は何も報復なんてできない。露国民、中国国民それぞれの国内人気を獲得するには絶好の機会だ。それも南北で呼応して当たれば、あんな弱虫は慌てふためき何もできはしない・・・。
そんなシナリオもあるようだ。
窮鼠猫をかむ・・・、ではないようだ。
ほんとはネズミの大きさが実はネコの百倍だったら、どうだろうか。単に、ネコとネズミの関係でスムーズに処理されるだろうか。そんな名称だけで判断してはいけないなんて誰も警鐘を鳴らしてはいないから・・・、わからないだろう。
そんな構図を知ってしまったら、日本は何もしないでいるという選択が最善だろう。なるようになる。ただ、あまり放置することは、反撃のレベルがどんどんと肥大化することになるので得策とは言えない。
国際法に沿った互いに理解できる共通の認識を持つことが重要だと、ひとりの日本人として思う。そのためには、現実の日本という国をしっかりと正しく認識して、相手の国民の目にたってそれらの国々はどう日本と向き合うかを判断しなければならないだろう・・・。
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