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安全神話という本質

この社会で、おれだけは大丈夫。そんな心理がだれにでもある。

つまりある集団の中で、自分は平均以上だという感覚がどんなひとにも男女関係なくあるらしいのだ。

もちろん私の場合は、かなり激しかったのだ。それは、おれは道路を目をつむって横断しても車にはねられることは絶対にない・・・、というものだった。

もろくも崩れ去った。

私は、会社近くの医院に運ばれて、ひとことふたこと声をかけられて、それから救急車で病院へ運ばれたようだ。救急車のサイレンはわかった。ああ・・・というぐらいで状況は不明というか、認識していなかった。

病院で緊急手当てのようだ。麻酔をされてもう気がついたときは、病室で腫れた顔で唇を切って歯が折れていたようだ。ああ生きていると・・・婦長さんが冗談で励ましてくれたと思ったが・・・、冗談ではないようだ。このまま生還できるか不明だ・・・。まあいきていたといういの意識でしかない。

先生に聞いたのは、酒はたばこは?ということだった。

なんだこいつはと思われたかもしれない。大量の輸血で助かっているだけ・・・なのだと後で知った。生還へは前途不詳というものだったろう。

そこで崩れたのだ。

ああ、やっぱり安全神話なんてないのだ。

やることをごまかして背伸びするとか、そんなことではだめだと悟ったが、もう後悔先に立たずだ。

こんなことを想ったのは、ライフジャケット装着問題のことだ。

下田の漁船が沈没し、乗組員が行方不明だ。救命胴衣の装着は義務付けられているのだ。でも、海上で作業中に装備するとやりにくいという理由だろうか、それとも素人ではないという間違った気概からだろうか、それともまた、私の過ちと同じような安全神話でおれは大丈夫という意識の問題だろうか。

すべてだろう。

どこでもそれは事故の後に、救命胴衣があれば助かっていたかもしれない・・・ということがある。もちろん仲間の漁船との協力による海上での安全確保など、ライフジャケットだけではなく、通信の維持とかも大切だし、操業時の判断も重要だ。ともすると商売優先になることは最近はないだろうが、どうも油断してしまう傾向にある。

近海でも、海象気象の変化は激しいものがある。

絶対に助かるには、きめ細かい作業上の心遣い、安全に対する心構えが必要なのだ。一度、過ちを犯すと、海の上では、陸上に比べて助かる確率は低くなる。陸ならすぐに救急車でも海上ではヘリコプターがあったとしても、大変な時間とリスクの上昇が避けられないのだ。

徹底する。

救命胴衣を着ける。自分のいのちを護るため、そして家族のため、また仕事のためである。自分の属する組織での安全意識の向上と安全を保持するための常識を真の漁業者の心構えの一番大事なものにしていくという共通の認識を持つことだろう。

そこから、あらたな漁業振興の芽が生まれてくる。後継者にそんな間違ったイメージの漁業を押し付けてはいけないのだ。プロの漁業者は海に入らないという決意でなければならない。決してもしも緊急事態で海中にあってもあわてて泳いだりしないということもシーマンシップの大事な要素である。

安全神話の本質は、だれでも基本を怠ると過ちに捕まるということだ。

そうならないように、普段から注意する以外にない。それはひとを選ばないということを、自分の経験で知るのはあまりに愚かなことである・・・と反省してきた長い年月がたった・・。

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