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プロの自覚

あまり自己意識が強いと空振りに終わることがある。

かといってプロとしての活動を自己コントロールで行うことは、かなりの困難さが伴うものだ。

それは、一日という与えられた時間をどう自分の活動に生かすかということなのだ。

だから、市民ランナーとしてのプロを目指すことは、ある意味でとても賢い選択だと想うのだ。それは選択というよりも決断だろうか。自分のやりたいことを決める。

そこには、人生というものがあり、社会への貢献という課題もある。選手としてのアスリート人生も大事なものだ。どこでどうやるのがいいのか。

すべてをどこにかけるのか。すべての時間をどうするのか。自分の大きな目標のために一日という時間を使う。

トレーニングの時間がほかの恵まれた企業に所属するプロに比べて、市民として職業を同等に持っているものはつらいかもしれない。

プロの自覚。

もちろん調子のいい時ばかりではない。だから、いつも反省の日々であろう。私も拝見したのは都道府県の駅伝だった。川内選手は、埼玉のアンカーとして大勢に抜かれてしまったようだった。その時は、気付かなかったが、たしかに下馬評で箱根駅伝の学連選抜で2回云々という話がでていたようだ。期待はずれだったのだ・・・。

でも、この大事な東京マラソンの舞台で日本人1位、全体の3位でゴールした。

翌日は、職場で入試願書の受付だという姿があった。公務員の姿だった。

プロとはなんだろうか。そこに何か大事なことをやるために、自分で失いたくないものがあるのだと私は感じた。生活が一番大事だ。そこで生まれる自分の時間をさらに好きなことのために使う。この公務員の場合、競技生活が仕事となると問題があるのかもしれないが、こういうことはもちろん変ないいがかりをつけるものではないだろう。

こういうケースに合わせてどんどんと改善してそういうこれからの後進のために整えていくべきものであろう。何かこの日本では変革といいながらうまくいかないとすべては、現実の規則云々でひん曲げてしまう心の狭いところがある。

プロの自覚。もう一人のプロは体調が悪く結果が報道されなかったのだが、やはり個人での競技生活を選んでいるということのようだ。

多様な選択の良さは、周囲の人々に希望を与えるということだろう。公務員になれないアスリートも一杯いるだろうし、企業のプロ集団でのチャンスをもらえないひとたちもいるのだし・・・。

自分の選択を自己責任で行うというところが一番偉いところだと・・・私は想うのだ。

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