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ここから下に家を建てるな

石碑の教えを守るように・・・。

それは1933年の昭和三陸津波のあとに、残された先人の教訓だという。

そして、2011年3月11日午後2時46分に発生した地震による津波でその石碑の50m手前まで波が押し寄せたという。だから、みんなその町のひとたちは助かったという。

なかなか難しいのだ。職場と住居の一体化というと、どうしても海の近くになる。第一不便だ。そういう意見が忘れたころにやってくる自然災害の仕掛ける陥穽でもあろうか。

だから、石碑の教えを守るように小さいころから教える。

それは、生き残るためのノウハウであり、だれにも絶対ということではないのだ。自然に雲散霧消となる教訓がいっぱいあるのではないだろうか。

自然と共生するには、なにかこれだけは厳守すべきという基本線があるのだ。いつでもどこでも同じ結論がでる保証はないが、そこには自分たちのコミュニティを守るという大きなテーマがある。

安全、安心とはいろいろな要素があり、高台だからすべてそうとは言えない。でも、その地で一番生命を脅かすものへの畏敬の念というものは故郷という言葉の中には含まれているのではないだろうか。

ここから下に家を建てるな・・・。

そこに条件はない。もしあるとすれば、絶対に壊れない防波堤ができることとか、絶対に津波が来ない変化があるとか、たしかな根拠が発見されることであろうか。

今回の東北関東大震災での復旧復興に際しての大きな枠組みであると想うのだが、現実的には難しいというのが本音であろうか。でも、リスクが99%ということと、リスクが33%というなら、どういう選択をするのがいいだろうか。

だれのための復旧、復興かを考えれば、答えは自然にでてくるだろう。

ただ、生活の質が第一だ。そして、津波がまたきたらその時の被害に応じて対処するというような対症療法ではなく、もっとその津波での崩壊、全滅という現実のプロセスに焦点を当てて原因を取り除くための努力が大切になる。

そこでいつも問題になるのは、経済性であり、そこにはコストと品質と納期の問題が立ちはだかるのだ。そんなバカみたいな費用は望めない・・・となれば、時間をかけて長い目で対処するか、そういう長期の復旧復興では効果が望めないということになろう。それで、どうするのか・・・という問題になる。

生きている。

それは生活があるということだ。私的な財産の形成に公費、つまり国家予算は使えない。受益者負担の原則はいつでも、どこでも生きているし、その方がいいのだ。そこにシステムの重要性がある。そこに行政による被災者住民のための法的措置が生きてくるのだ。

だれのためだろうか。

財務省の役人のためではないことはもちろんだし、どこの官僚もそんなことは想ってもいないはずだ。ただ、そこで予算執行という既得権のようなものが独り歩きすることがあるのだ。

でも、どんな時でも、私たちは何でもできるのだ。私は一人ではできないといつも無力感を味わうのだが、私たちという組織に参加するとか、私たちの社会を創るために何ができるかという視点で考えると、そこには私はいろいろなことができるという風に当然のように変化するのだ。

その「できない・・・」という認識が、実は「できる・・・、なんでも必要なことは・・・できる」の大元になっていることが容易に理解できるのだ。

無力感にさいなまされることが、じつは私たちという社会システムを構築することで大きな力を獲得することができるのだ・・・。

私の住む空間は、静岡市の清水区だ。港湾活動の拠点であり、三陸沿岸の被災状況を目の当たりにして改めて半日かけて歩いてみた。石油コンビナート、数々の大型タンク類、コンテナふ頭、リアス式ではないが駿河湾の深海と急激な深度の変化を抱える富士山があるので、その波の威力は急激に変化するはずである。

あの被災前と後の広域写真を思い浮かべると、私の住む三保半島は東北の津波で飲まれて砂浜海岸という位置づけのようにしか思われない。

原発の教訓は、まさに現実を突きつけられたというものでしかない。安全神話はあるのか。まだ、コストをかければできることが原子力の技術においてあるのか。すべてを制御できるなんていうことはだれも信じないだろう。マッチ一本は大切なものである。そのマッチの火は100%制御はできないのだ。マッチと原子力も同じではないだろうか。その専門家がリスクは1%です。それが崩れるのはあり得ないことでしかありません・・・という。そして、ありえない・・・ことが現実に起きると、それは想定外のことであり、本来1000年に一度のことに相当する・・・なんてことを言うしかないのだ。

言い訳がいいわけにならないのだ。仕方がないでは済まされないのだ。

そんなことを想った。

ここらには・・・家を立てるな。

ここら原発のある土地に・・・住むなんて、考えることがおかしいのだ・・・となるのではないか。どっちが主役なのか…わからない状況に追い込まれたら・・・。

もうそこには原発も何もいらない。だって産業もなくなり、ひとも済んでいないただの自然のになっているのだから・・・。それは、ヒトの目からは荒野なのだが、本来の自然の姿そのものなのだと気付くひとは、はたしているのだろうか。

トウキョウも昔は何もなかった・・・。でも、今は大都市だ。さも数千年もそういう大都市がそこにあったかのような錯覚に陥ってしまう。自然のちからはすごいものだ。でも、めったにそういう天変地異は起きないことも確かだ。それでいいのだろうか。めったにはない・・・。けれども起きる時には起きるのだ・・・。

ここから下に家を建てるな・・・という教訓から何を学ぶのか。

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