新聞を紙では読まなくなって7年ぐらいか・・・
新聞がない毎日は考えられない。
それが大人としての務めであると、子ども心に想っていた。
しかし、都会での一人暮らしには、仮住まいを開けるという出張期間の新聞の山が時々あるとうんざりしてしまった経験がある。
ときにわすれるのだ。
明日から出張で●日間留守にします・・・、そうメッセージをぶら下げればいいのだが、それでは泥棒にメッセージを送るようなものである。
そんなこんなで、インターネットでの情報取得が便利になってきたころに、方針を変えた。紙での新聞は見ない。
なれるまでは何か禁煙のようで、落ち着かないのだ。
同僚にあいつ新聞も読まないらしい・・・という噂でも広まるのではないか。つい、世間話で日経にこんな記事があったな・・・とか、ついごまかしてしまうのだ・・・。まあ、いいか・・・。
そんなことが何度もあった。
でも、最近は気にしないし、みんなそうらしいのだ。
面倒だからというのが理由なのだが、結構いろいろと言い訳を考えたりするつまらない人間になってしまったとか・・・、時々、気持ちが滅入ってしまうこともある。
新聞紙を観なくなって、もう7年ぐらいだろうか・・・。
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