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民主への失望映す・・・とは

民主への失望を表わした地方選の結果だとの報道がある。

それは、つまり、政治家への不信と失望と絶望を表わすものではないのか。

八百長ではないものの、日本最大の首都では、もうでない・・・からと嘯いていた現職が登場した。もう4選なんていう長期間にわたって何をしようというのだろうか。

オリンピックをこの危険な地震津波のある土地でおこなうわけにはさすがにいかないだろう。それだけ、日本の地方住民が選択肢をもっていないということだろう。そして関心もないということだろう。

政治不信と言われて久しい。

創造性がない。

政治に夢がない。

政治家とか、何かという古来の哲学もない。

あるのは、政界を揺らめき渡る渡世人という仁義だけのようだ。討ち入りではなく、陥れであろうか。策略をめぐらし、子分というだけの代議士たちが増えている。

まるで修学旅行のような中国総書記との握手会などがあった。まったくつまらない政界になったものだ。

まだやくざの世界の方が活気があるのではないだろうか。名前も言わずに被災地に支援をする任侠家がまだいるのだという。それは、策略ではないかと、勘ぐる検察がいる。断られることを承知で支援するのが任侠魂なのだろう。清水の次郎長は、タイガーマスクのようなものだったのだ。

そういう地方独特の助け合いもないのだろうか。

自民党とは自由民主党という。民主党が選出された背景には自民政権の堕落がある。国民が見放したのだ。これではいけない・・・と。

でも、それもつかの間、国民の選択肢が足りなかったのだ。

それとも、もっと連立で力をつけていくプロセスが必要だったのかもしれない。政治家も人である。すぐになんでもできるというポーズをとるには余りにも面の皮が厚すぎるのではないだろうか。

それを補うのは専門家だろう。行政の専門家だろう。政治のプロは行政のプロと対でなくては仕事が進まないだろう。無駄は出せないのだから、少数精鋭でこの国を動かすには、いい人材が必要不可欠だ。

そういう日本が今、ちゃくちゃくと出来上がっているのだ。でも、不足している。なんでもかんでもタレント頼みでは知名度だけではないのか。

民主への失望とは、政治家そのものへの不信であり、政党間の争いに対する幼稚さに起因しているのだ。

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