村八分
しかと・・・とかともいうようだ。
しかし、村八分はほとんど生存権を奪い去るという意味のようだ。
シカトする・・・ことは、その始まりである。
ハンディを負う気持ちは、ほかのだれにもわからない。悔しくて、そんな具体的なことで悩みを打ち明けるとかいうことも、弱虫に見えるから、そんなことはとても悔しくてできはしないし、やらないのだ。
負けてたまるか。
やられてたまるか。
そうこころの中で叫ぶのだ。すると、何か負けじ魂が体の中からわき出てくるのだ。
日本は放射能テロ国家になり下がったのではないか。
どんな処理をこれからしようとしているのか。どうやったら、汚染した環境を取り戻せるのか。自然に半減期を経て減少し、最終的に消滅するから大丈夫だと科学的に証明できるのだろうか。
捨てる時に人体にはすぐには影響はないのでご安心くださいとか・・・、そんなことを言っていた。
それではどうしたら汚染がなくなるのかという判断が・・・、情報がない・・・。
それでは日本は放射能テロ国家としていつまでも村八分だと言えないか。
どうしたら、元に戻れるのか?この質問に答えていない。
人間は放射能にも順応できるだけの細胞内に遺伝子情報を積みこんでいるから大丈夫・・・というような説明もあったのだが、すぐにうんともすんとも言えない。
村八分にあうことは確かだ。
最初はGOOD、すぐにノーグーに変わる。偏見も含んでもう日本は相手にできない・・・となる。
放射能も汚染という文字がよく似合う言葉ではないか。でも日本には汚染という文字は似合わない・・・。
村八分。
まず覚悟しよう。
そして、原発事故の収束を図り、終息させよう。それから村八分の濡れ衣を晴らそうではないか。
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